2022年1月5日水曜日

今日の想い 1127

 留まっていることをアボジは願われるだろうか。常に前進するように顔も体も作られているように、精神の発展なくして生きているとは言えないだろう。御言葉の箇所個所だけを取り上げて、こうあるべきだと言い続けることが発展に貢献するだろうか。その御言葉が内的霊的に関するものではなく一摂理の目標だったりするものでも、そこだけを取り上げて未来永劫の私達への願いと取ることに疑問を抱かないのだろうか。御言葉は流れてこそ御言葉であり、摂理も留まらずに常に状況に合わせて変化させていくものだ。今は後天の時代だ。万人それぞれの主体性が発揮される時代だ。二世はその新しい時代を牽引していく摂理の中心的存在だ。二世は一世の姿勢や行動に疑問を覚えるなら引かれたその線路を走る必要はさらさらない。勿論教条的な信仰の在り方も敢えて踏襲する必要はない。実体という結果に関する限り一世は何の貢献もしていない。一世には二世を壇上から教育する資格はない。ないない尽くしの状況で二世は全く一から、蘇生段階から始めなければならない。それでもマイナスの位置から蕩減を背負って穴埋めをして、人間以下の歩みをしながら平坦にすることができた一世の功労だけは認めてそれだけは感謝すべきだろう。一世は卑下する必要はないかも知れないが正しい歩みをしてきたと誇ることはできない。それは覇気のない私達の空気感に表れているし、二世達に力強く語れる理想も持ちえないでいる。そうなると御言葉だけを手渡して全て二世に丸投げするしかない。何はともあれ2022年の航海は出帆した。良心をなだめ誤魔化しながら信仰を辛うじて維持してきたが、その信仰は果たして2022摂理の航海に機動力となり得るだろうか。或いは逆に航海の妨げとはならないだろうか。

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