2022年3月16日水曜日

今日の想い 1141

 権力を持つ存在が権力を発揮する時はヤクザと全く変わりない。権力を見せぬ平時は尊敬に値するかのような統治者の顔を持っているが、野蛮な畜生の顔を露わにして権力を行使する。黒い熊だろうが白い熊だろうがヤクザは己の正義を振りかざして権力を振るい、結局はイメージしているプループリントを具現できずに、得体の知れない魑魅魍魎の輩を呼び覚まして混沌、破壊の底へ引きずり込んでしまう。DSのインテリヤクザにシロクマの喧嘩ヤクザが業を煮やして挑みかかった形だが、喧嘩に取り込んだ以上喧嘩ヤクザの方が上手だろう。戦況の悪さが伺えるが、そんなことは喧嘩ヤクザの見せ所と一層褌を締めさせ気合いを入れさせてしまう。しかしどちらにしろ腕を振り上げるヤクザはどうせ最後は逃げるしかなく、アボジが言うように、彼等は太平洋の周囲に逃げて逃避城を発表し、チンピラの大将、ヤクザの大将、マフィアの大将が連合してそれなりの法を作れば、どこにも行く道の無くなった世界が逃避城の法を用いるようになるということらしい。何とも善の摂理観からすれば冗談のような、突拍子のない復帰摂理の戦法を見るようで、そうなると教条的原理の枷にしっかり嵌っている柔軟性のない食口にしてみれば、そんな摂理など思いもよらないだろう。私達こそが神様が共にいる摂理の精鋭部隊だと信じていたものの、思いもよらないところで摂理は進められていて、肩透かしを食らわされ呆気に取られる格好になってしまう。ヤクザであれマフィアであれ、結局死の覚悟を持って命をはったものが生き残るということだろうか。今のこの現状を見通して発表された「平和の主人血統の主人」の御言葉かどうか、いま少し見届ける必要がある。

0 件のコメント: