2022年3月29日火曜日

今日の想い 1143

 誰よりも人生の賛歌を謳い、誰よりも被造世界の母性を詠み、魂の限りに神の父性を求める意志を差し出す。逆説である裏面の言葉に直すなら、誰よりも生きることの厳しさに没頭し、誰よりも冷酷で荒々しい地上を舐め尽くし、そして肉体を未練なく捨て去って霊の本質に自らを差し出す。しかし実情は、この肉体も想いも主管しきれずに、手綱を持つだけで精一杯の日々を送っている。もはや思うように体は動かず、光あふれる高次へと飛翔したくも恍惚への梯子すら登れずにいる。老親の更に老いるのを心配するうちに、自分も老いが増しているのを思い知らされる。私が生きて来た意味は、私が生きている意味は、この年になって今更問うてどうなるものかと思いながら、それでも問い続けている。止めてしまいたいのに問い続ける障害があって癒されない。問い続けることから逃れられない。今日も途絶えることなく内面は赤子の様に泣き叫びながら問い続けている。私の中に一つの結論を出そうとしているのだろう。躍起になり焦る思いがそうさせている。親に強いてきたことも、更には親として子に見せてきたことも、私という生き様の結論こそが親や子への、更に後孫への種だと思っている。親にも子にも、私の人生が騙され裏切られた失敗作として内的霊的影響を受け取って欲しくない。実際失敗作であるはずがない。私が生きているうちに、生きて来た意味を差し出す結論がもし無ければ、信仰も、献身生活も、祝福も、相対と共にしてきたことも、子供達への教育も、意味を大きく欠くものとなる。

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