2023年1月31日火曜日

今日の想い 1222

 男は女を求め、女は男を求めるのは、ひとつになりたいという衝動がそうするのだとしても、ひとつになって男になりたいわけでも女になりたいわけでもないだろう。しかし女になりたい男がいて、男になりたい女がいる。また男が男を求め、女が女を求める者もいる。たとえそういった者達に宗教的タガを外して多様性として認めるとしても、その衝動や指向がどこからどうしてくるのかを見なければ、認めさえすれば良しとされるものでもないだろう。また無暗に否定されるべきものでもない。しかしその霊的背後の意味を知ろうとすれば、それなりの霊的位相を登らなければならない。ここまでそういった彼等の存在があからさまにされ、皆の意識に上るのには、確かにそれなりの霊的意味があるはずだ。もしそうでないなら社会全体により注目され意識されるということにはならない。サタンが先行し神がその背後から行使するように、カインが先行しアベルがその後を追う。悪から善に取って代わるのではなく、悪の形状に善の性相が入り込んで、悪と思えていたものが善になる。より天国に近づくとしても、不倫がなくなり離婚がなくなるとは思わない。不倫や離婚が別の意味を持って摂理進化の役目を果たすだろう。LGBTを受け入れない教会だけれども時が過ぎようが彼等の指向がなくなる世がくるとは思わない。やはり摂理的な別の意味を持ってその形状は残るはずだ。アボジが生殖器と性に光をあててその聖なる側面を提示されたように、、。

2023年1月18日水曜日

今日の想い 1221

 御父母様は一体であるというのは後天時代の摂理展開の軸としては揺るがない。アボジの指示された摂理的内容の全てが正しかったとも言えないし、多くの反省すべき課題を含んでいたことは事実だろう。たとえ結果が悪かったと判断されても、天を想う心情動機があってのことであって天を裏切る恨みが動機となった指示はないと私は信じる。御母様についても様々な意見があるし、判断はそれぞれに任せるとしても、それでも御母様の存在なくしてアボジが天宙的勝利をされたとは思わない。真の父母としての勝利圏をお二人で立てられたという霊的事実は、たとえそれ以前やそれ以降様々あるとしても、それがアボジを否定するかのような御母様の言動であったとしても、それでも勝利圏を立てられたという事実は変わらない。私達の軸はそこにあるのであって、アボジにこういう過去の事実が発覚したとか、御母様がこう言われたとか、その都度都度で軸が変わるようであればそれは勝利圏の軸が私には立っていないという現実を露呈しているだけだ。祝福によって戴いた天の血統圏に立つ霊を与えられ、み言葉と摂理的歩みを通して天の勝利圏を相続した私という軸を立てて、そこは揺るぎなきようこの一年も前進していけばいい。

2023年1月17日火曜日

今日の想い 1220

 阿部黒田体制による10年にも及ぶ膨大な緩和政策により、日銀の国債保有残高は500兆円を優に超えている。国の国債発行残は1000兆円を超え、借金残は優に1500兆円に届く勢いだ。日本は余りにもデフレ期間が長く続き過ぎた。経済成長時のインフレ状態がどんなものかもわからないし、また不況時のインフレ脅威も知らずにいる。しかし世界は、EU諸国も、資源国であるはずのアメリカもインフレの嵐で、インフレに歯止めを効かせようと金融引き締めに躍起になっている。昨年は物価高と言われてもそれでも抑えられていたが、今年に入って日本も軒並み値上げのニュースで幕を開け、横並びで抑えていた物価を横並びで一斉に上乗せしていく。既にユーティリティは30%以上の値上げが実行されている。しかしこの期に及んでもまだ財政支出が足りないと言い張るMMT論者が少なからずいて、円の価値を紙切れにまで落とす政策であるにも関わらず、それでも声高にばら撒けばら撒けと叫んでいる。日銀は通貨発行権を持っていてどれほど発行しようが誰も文句を言わない、というのが彼等の言い分だが、権威をひけらかして思惑通りにいくと思っている時点で思考の甘さを露呈させている。確かに通貨発行権はある。しかし発行すればそれだけ通貨の価値は薄まる。もし既発行の国債を帳消ししようものなら、円の価値は急降下しそれこそ紙切れになるまで売られ続ける。またある経済評論家は国民の通貨保有(日本人の貯蓄)が1200兆円もあるので、国家全体としては差し引き0だという意見もあるが、それは国民が何の文句も言わずに貯蓄を国に差し出す前提の話だ。国がいつでも個人財産を没収できるならそれは民主国家とは到底言えない。他国の中銀に比べて日銀は金利を暫く上げなかったが、それは既発行の国債が多すぎて金利を数%も上げれば国の利払いが大きくなりすぎる為だ。日銀は500兆円もの国債を抱えて既に詰んでいる。インフレ対策の為の利上げすら手を付けられない。さあこの2023年と2024年がどうなるか。昨年以上の混乱が起こることは必至だが、どんな高名な経済学者の予測も適当で、本当はとても予測など立てられる状況にない。

2023年1月9日月曜日

今日の想い 1219

 原理から信仰に入った食口の課題は、神の存在や在り様、霊界の存在や在り様などの論理的説明を納得して受け入れてしまったことだ。納得して受け入れることで本当は理解の入り口に手をかけただけであるにも関わらず、解ったつもりでそれ以上の求める意志を働かせてはいない。原理講義を一通り受けた時点で宇宙や人生の全てを知ったかのような錯覚に陥り、この世から学ぶものはないと現実経験の価値を随分と低く値踏みしている。本当は原理を知ろうが知るまいが相変わらずこの世の人達と同じステージにいるのであり、差ほど変わりはない。いや、求める意志を働かせずにいる時点で、悩み苦悶し求めている世間一般の人達、謂わばカイン圏やサタン圏の人達の方が神により近いのかも知れない。少なくとも先ずその謙虚さから入り、底辺から彼等に学ぶ姿勢は私達に必要な部分だろう。原理を振りかざして世間を切り、善だ悪だと決めつけているが、それは歴史に見てきた宗教的権威の押し付け以外の何物でもない。信仰が道徳を超えてしまうのは、謙虚さ故の信仰であるにも関わらず、私達の理解を正しいものと過信して現実社会に押し付けようとするからだ。教会でもヤコブの知恵か何か知らないが、随分と独善的判断と行動に出てきた過去があるのはその通りだ。しかし今の教会や責任者、そして食口一人一人が謙虚さに立ち返ることができるかどうか。

2023年1月5日木曜日

今日の想い 1218(3年間のスクラップ&ビルド)

 地の事情は二の次の食口にとって、昨年の一連の事件が驚天動地であったように、天の事情に疎い世間の人々にとってはコロナパンデミックから始まる一連の出来事こそが驚天動地であった。しかも未だ奈落の底に向かって進行中だ。コロナパンデミック、サプライチェーンの崩壊、ウクライナ戦争、資源エネルギー不足による高騰、世界的インフレ、株価債券の世界的下落、以上が2022年の出来事だったが、今年2023年は昨年の出来事が引き続き起こると共に、インフレと景気後退が合わさってスタグフレーション、更なる株価債券の急降下、アメリカドル安発の不動産バブル、株価債券バブルの崩壊、ハイパーインフレ、信用通貨不信で歴史的金融経済シュリンクによる通貨安、その対策としてのデノミネーション乃至はデジタルにかこつけての新通貨発行で今の通貨はほぼ紙切れ化、となる。この一連の出来事が2022、2023、2024年までの3年間で起き、今まで築き上げてきた社会基盤がいったん崩壊しかねない。まさに驚天動地だ。培ってきた経済理論も含めて科学万能信仰こそが生きる拠り所だった殆どの者達はその大黒柱が倒れることでほぼ生気を失い立ち上がることもできないだろう。その時こそが神が復帰の最終戦略として残してきた霊的柱を大黒柱にして生きる祝福家庭達であり食口達の出番だ。どんな環境でも嬉々として生きる私達は、スクラップされた地上に神の国家建設の為に立ち上がる。しかし私達が独善的にどうこうするのはなく、柱を失い生きる拠り所を失った彼等を救い、彼等の中に霊的柱を立てながらの建設にならなければ神は共にはないだろう。アボジが敢えて声量抑えて口に出された2024年の終結が現実となる。

今日の想い 1217(棚ボタ思考とニンジン馬行動からの脱却)

 堕落性の表れであるアダムエバ問題、カインアベル問題、そして万物主管問題(公金問題)の三つの問題に特に焦点が当てがわれ、これを犯さないという戒めが教会組織の内部に徹底されていた。それは度重なる修練会や毎日の朝拝や反省会での教育の徹底であり、遠ざけて距離を置くように訓練された。しかしそれでは根本的解決には当然ならず、触れずさわらずではなくて如何に主管するかが教育なのだが、個の主体性教育より組織強化の為の教条的教育に偏っていた。良くも悪くも個より全体だった。アダムエバ教育の弊害は性=罪であり、違反した者や祝福を受けていない者への偏見であり、自分への戒めもさることながら純潔への執着は子供への戒めをより強めることになる。カインアベル教育の弊害はイエスマンのコピー教育であり、主体性の欠如による思考停止は結局教会全体の発展を阻害している。公金教育に至っては自由になるお金は子供の小遣い程度であったし、使うことで学んでいくはずのものを、使わせないことで使う過ちを避けることに意識を宛がわせた。公金は恐ろしいものという認識だけでどうしてお金を主管するという段階に届くだろうか。お金を所有することや使うことを避けて価値や意味を学んでこなかったから、当然ビジネスの意味もわからないし、ビジネスを大きくし成長させることなど難しいということになる。実は教会から家庭連合に変わることで、宗教を超えた摂理が始まった。宗教は戒めや枷という教条的部分からどうしても逃れられない、すなわち孤立化してしまうが、宗教を超えることで現実社会に浸透し社会を変えていく新たな摂理ステージを歩むことができる。本来神の祝福であるはずの個性完成子女繁殖万物主管はそれを求めることで逆にサタンの餌食にされた堕落の歴史がある。だから宗教権威をして逆に三大祝福から遠ざけてきた先天の過去があるが、強めれば強めるほど地上界の力や権威をカイン圏に譲ってきた。教会が国やマスコミに対して力不足なのは先天特有の信仰観からきている。しかし後天時代は宗教を超え、自分の外に従うべき対象を得ていたものが自分の内に従うべき良心を持っている。その意味で天と地は裏返しになった。日本は摂理中心国家であるので、昨年の驚天動地の事件や国あげての教会非難は、信じていた天が目の前で崩壊するのを見たと同じ意味だ。教会が打たれた、天が崩れたと嘆くのではなく、新しい天は既に用意されている。新しい天は私の内の良心に築かれている。しかし崩壊した古い天にしがみついている者達も少なからずいて、この試練を超えれば大きな天運が待っていると能天気に構えている。棚からボタモチ思考は、天国というニンジンをぶら下げられて周りも見ずに走ってきた馬の行動と通じていて、そういった古い革袋にしがみつく食口はどう救いを得るのだろうか、どう伝えたらいいのだろうかと考え込んでしまう。