2025年8月14日木曜日

今日の想い 1407

一体、元首相は何を銀貨30枚と見て受け取り、教会を左翼連中たちに売り渡したのだろうか。教会は日本の霊的中心であったために教会を売り渡すことは日本を売り渡すことに等しい。勿論以前記したように、教会自体も実に脇が甘く狡猾さの欠片もない稚拙な者達の集まりだから、教会の尻尾を捕らえるのは実に容易かったろう。摂理を担う者としての使命の大きさをもっと自覚しておれば、用心に用心を重ねたはずでこうはならなかった。教会を売ってしまえばそれで全ては事足りると思ったのかも知れないが、日本国を奪われかねない状況になっている。日本政権のしくじりによって天から打たれる以外の日本の生き延びる道は遮断されてしまった。しかし蕩尽を受けることで、周辺国からの侵略は辛うじて回避されるのかも知れない。元首相がそれほどの恐ろしい巨大爆弾に点火した自覚は未だにないのだろう。おそらくその自覚があれば、ユダが人知れず命を絶ったように気が狂うほどの良心の責め苦を受けるはずだ。日本はいつ何時侵略されるかも知れないという、国防意識という衣服を脱ぎ捨てた裸のエバであり、裸故に何の抵抗もないとなるとそれ故に天は蕩尽を用意するしかない。摂理的にはサタンの侵略を防ぐための蕩尽と見ることもできる。天災で弱りきって破綻しかけた国に侵略をかけることは世界中から非難されるからだ。アボジが、要求する摂理的要件を満たさなければ日本は太平洋の藻屑となると言われたのは、それがノルマの完遂だと日本の食口は思って搾り取ってでも捧げてきた訳だが、果たしてどうなのだろうか。アボジの言葉はそれが食口の前であっても、日本国に対して日本を統治する者に対して語られていたのかも知れない。そうなると国としての摂理的要件を数少ない食口が肩代わりする時点で無理があるだろう。アボジは日本食口に対して生き延びる道を海外、とりわけアメリカと南米に用意されていた。しかし一端アメリカ人事となった日本食口を環故郷摂理で皆帰るように指示され多くが帰っていった。アボジは後にその指示を悔やまれた事実がある。それは環故郷摂理で士族復帰されるほどの信仰も力量もないと見て悔やまれたのか、滅びかねない日本に居留まらせたことに対して悔やまれたのか、そのどちらだろうか。それとももっと別の摂理的な意味から悔やまれたのだろうか。

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