トランプ関税が問題になっている。日本からの輸入品に対しても24%で、もしこれが続いたなら日本経済は苦境に陥るだろう。インフレもそうだが品不足で翻弄されることになる。アメリカは関税を仕掛けたことで世界戦争を勃発させた。人は死なないが世界貿易の停滞を目論み自国に製造力からの経済力を呼び込む為の事実上の戦争を吹っ掛けたことになる。各国はそれぞれに応戦することになるが、日本の対応は未だ見えてこない。即対応することが必要で、様子見している余裕はないにもかかわらず、石破政権は事の深刻さがわかっていない。関税は別に輸入相手国や業者にかける税金ではなく商品を買う自国民に課す税金だ。その意味では消費税と同じ性質を持っている。故にトランプは日本の消費税に対して文句を言った訳で、関税24%も消費税を踏まえて出した数字だろう。今まで債務国家であったアメリカは基軸通貨故の利点を使って何とかここまできたが、ロシアへの対応からのドル不信が災いして、基軸としてのドルに疑問が持たれている。そこを見抜いているトランプはドル暴落の手前で世界に戦争をしかけた。ドル基軸経済からブロック経済への流れが見えている以上、トランプは債務国の意味を債権国に儲けさせているという観点に立つことで関税引き上げという戦略を立てたということだ。本来責められどころを逆に責めに出たという、何ともトランプらしいこの賭けは海千山千戦い抜いたうえに磨いた感覚だろう。教会と食口達がもっとも学ぶべきところの狡猾さだ。
逍遥の旅
五感を超えた世界、霊界を尋ね散歩しながら、思考、感情を通して教えられるものをブログ日記として書き溜めました。
2025年4月5日土曜日
2025年4月3日木曜日
今日の想い 1374
顧問弁護士の言動を垣間見ただけでも良くわかるが、教会は法を盾に反政府の立場でずっと一貫し、寸分の理解を示す意志もないし、膝を突き合わせ胸襟を開いて謙虚さを示しながら妥協点を見出そうと折れることもない。教会にとって解散命令は死を意味することだと十分わかりながらも、何とか生き延びる道をと探ろうとしないのはトップ達の独善性と傲慢以外の何ものでもないだろう。死んだら終わりだということがまったくわかっていない。解散が確実になった場合はトップ層は辞任に留まらず死をもって報いることが当然だろう。それ程の重い案件でありながら、おそらくそれ程の個人的な決意も覚悟もなく、教会は解散しても自分は信仰を保って生き延びると我意識せずに思っているはずだ。責任者は何万もの食口たちの信仰の生命も生身の生命も引き受け背負っている立場で、それは万死に値するほどの責任だという認識に欠けている。霊感何某を牽引し、高額献金を牽引してきたかつての責任者達も表に出て謝罪すべきだ。日本に対しても日本国民に対しても、もちろん食口達に対しても謝罪すべきだ。おそらくアボジの命令、アベルの命令に従っただけだと自分に言い訳して表に出ないのはわかっているが、それで許されるはずのないことは良心に尋ねれば即座に答えはでる。解散命令が出れば献金要請に応じる必要もなく、おとなしく信仰を保ち静かな余生を送ると思っているのだろうが、あり得ない。解散してから恐ろしいほどの試練と闘いが待っている。神の名によって生きた者は神を裏切れば生きて地獄が待っている。今は時代的に良心作用が鍛えられる修練の期間であって、そのうちに良心を裏切ればその呵責は死ねるものなら死にたいと思うほどに大きくのしかかるようになる。良心に応えれば大きな安らぎを与える女神となり、裏切れば空恐ろしい鬼となって襲い掛かる。それが良心という内在神だ。平食口も位置のある責任者も人である以上この良心を抱えているのであり、誰一人良心という神から逃れることはできない。解散という結果を受け取って、準備すべくは外部からの仕打ちや攻撃ではなく自分の内面からの仕打ちであり攻撃だ。
2025年4月2日水曜日
今日の想い 1373
歴史を変えてきたのはいつの時代もはみ出し者だ。変わり者ではなくはみ出し者で「出る杭は打たれる」立場の人間だ。かつての教会はそういう類の者達の集まりだった。しかしいつのまにか魂を抜かれてしまって今は只の変わり者の集まりになっている。変わり者では歴史を動かせない。変わり者もはみ出し者も村八分に合うが、変わり者は打たれて終わりだがはみ出し者は打たれれば打たれるほど魂をより燃やす。この伸るか反るか、生きるか死ぬかの闘いなのに教会トップはどうしておとなしい者しか表に出さないのか。教会の男たち自体が去勢されて(与えられた女にのみ生涯おとなしく連れ添わなければならない)、自分を抑えて抑えて生きることを強いられているからどうしてもおとなしくなるのだが、しかし教会の女は違うだろう。アボジーと絶叫して祈祷しながら摂理を牽引してきたのは実際女たちだった。教会は論理と理性で時代を走ってきたのではなく、感情を爆発させることで現代摂理を牽引してきた。だから男たちではなく女たちの教会だ。それをこの背水の陣の状況なのに今更に男を前面に出して突破できるはずもない。熱情もあり口数も立つ女はどこに行ったのか。どこに隠れているのだろう。トップはどうして女を前面に立てないのだろう。何から何まで嚙み合わないことばかりに手をまわして逆に裏目に出る。状況をみるに教会はことごとく神霊が失われたとしか思えない。もはや教会にジャンヌダルクは出てこないのだろうか。
2025年3月30日日曜日
今日の想い 1372
借金大国アメリカをトランプはどう立て直すのか。アメリカの負債、既出国債は37兆ドルという天文学的数字だ。マスクのDOGEがどれ程頑張ってもせいぜい5000億ドルくらいの削減にしかならないだろう。そしてバイデンの置き土産として、2025年に償還すべき国債が8兆ドルもあり、それを借換債として新たに発行し、プラス財政赤字が2兆ドルとなると今年10兆ドルの新規国債を発行して買ってもらわなければならない。しかし誰が買ってくれるのか。バイデンがロシアに対して外貨準備を凍結しスイフトという決済システムから排除したものだからドルの信用を一遍に失うことになった。BRICS国家を始めとする国々はいつ我が国も凍結されるか知れないとなって、ウクライナ戦争以降ドル以外の通貨やマテリアルにドル準備からどんどん移している。ここにきて金相場が爆上げしているのは各国の中銀がドルから金に移行しているからだ。そんな状況の中、トランプ関税が発動される。これによって対米貿易はもちろん縮小していく。ドルは更に必要性が失われていく。そしてドル基軸が傾いてドルはとことん安くなる。自国の生産力を上げて輸出を増やしたいのはわかるが、早急に生産能力が上がるはずもなく、それまでにドルが安くなっていくと金融どころかアメリカ経済も成り立たなくなる。金融界に名を馳せるほどの頭脳の持ち主も数人いるからそこは当然理解しているはずで、そうなると敢えてドルを落とし込むドル切り下げという第二のプラザ合意を目論んでの事か、はたまた以前から発言しているようにFRBを切り捨てて財務省直接に通貨発行せさるというトランプドルに切り替えようとしているのか、トランプがどう出るのか様々な憶測が流れている。ドルがその基軸的権威を見限られて新ドルにしろ国が発行する暗号通貨にしろに譲るとなると、世界経済は大混乱に陥るだろう。特にドルに追随している(すなわち米国債をしっかり保持している)日本と日本円はどの国よりも影響を受けるはずだ。日本の国民はどの国よりも日本円という紙幣を信用していて、少々のインフレで金や銀に揺らぐことはなさそうだが、しかしドルの信用がなくなっていくとなると日本円という通貨に対しても絶対信用認識を疑い始めるだろう。2025年、何が起こるかわからない。
今日の想い 1371
説明の話しぶりや質疑応答からして、どうも教会は解散命令請求が地裁で認められるとは思っていなかったというのが伺える。日本が法治国家であることを信じて疑わなかったということだろう。今までの経緯からしても法に訴えてきた様々な結果からしても、法治国家の体を装ってはいるが実態は異なっているのは明白だ。トップですらそうなのに私達がどれほど社会に疎いか、という現実をしっかりと凝視する必要がある。私達に賛同して声を上げて下さる方達の私達に対する要望意見として、黙っていずに声をあげて欲しいというのが複数あった。それは組織としておとなしすぎるという意味だとは思うが、実は教会は断固としてそんな横暴は許さないという意志もなければ義憤の感情も見出せないと言いたいのがおそらく本音だと思う。教会が行儀も良く言葉も選んでの説明は信仰観と人格からくるものなのかも知れないが、もっと人間味溢れる感情を吐露して映像を受け取る全国民に訴えかけるべきで、それは幾らか芝居じみていたとしてもそうすべきだったと思う。拉致監禁の実態を言葉だけならべても、普通は誰もその痛みも受け取らなければ悲惨さも受け取らない。言葉を並べるのではなく言葉を通して心に届く感情や想いを訴えるべきだろう。トップの立場でそれができないのなら誰かサブを立ててでもすべきだろう。私達が日本を想い、生命をかけて日本救済摂理に邁進してきたのであれば、国民の琴線に触れる一言だに出ても良さそうなものなのに、あれほど全国民が注視する場面で行儀よくておとなしいのは、結局それだけの歩みでしかなかった、日本国を想う愛に欠けていたと言われてもどうしようもない。独善的な信仰に走ってしまったことや道義的責任を問われる活動をしてしまったことも確かに悔やまれるけれども、それ以上に献金や伝道の数合わせに疲れ果てたのか、私達の中にいつのまにか摂理とみ旨に熱く燃える魂を失ってしまったことは何よりも悔やまれる。
2025年3月25日火曜日
今日の想い 1370
東京地裁において解散命令が下された。日本は信教の自由もなければ三権分立も建前に過ぎない、ということがこれで再確認された。これから高裁への不服申し立て、最高裁への抗告と案件は移っていくのだろうが、最高裁が別の案件で民法上の不法行為も解散命令要件にあたると明言しているので抗告してもほぼ無駄だろう。解散は現実となった。これから随時教会施設も処分されていき、事実上活動拠点も奪われ宗教行事すらできなくなる。聖フランシスコのブラザーサンシスタームーンに倣って、野山で祈り海辺で祈り、信仰を維持することになる。施設がなくなっても信仰を維持するとなると、本当の意味で親離れし、主体的で能動的な信仰姿勢を自らで育まなければならない。日本食口の成長はここからであって、解散という破壊だが、死が新たな生であるように解散という破壊も新たな位相を上げての新生信仰となる。あれほど汗を流して議員先生に尽くして来たにもかかわらず、物の見事に裏切られてしまったその現実が意味することは、私達はただの使い捨てでしかなかったということだ。先天の信仰で世間の人々が屈服するはずがないのは明白であり、そうなると人々の光であり羅針盤でありうる本物の信仰を立てろというのが、神の願いであり私達の摂理的方向性だ。私自身は献身生活を通して教会に身も心も捧げてきた以上、切なくも寂しい想いは勿論あるが、解散の声を受け止めて、もはや死にかけている体に未練を残すことなく新たな出発として旅発つことができる。地に這いつくばってきた成約の勇士は死を超えて大空に羽ばたいていく。今日の日は日本食口の魂の聖和式だ。
2025年3月21日金曜日
今日の想い 1369
どれほど論理を組み立てても、どれほど議論を尽くしても、それだけで実体の果実として実ることはないだろう。必ずそれに沿った行動や実体験が必要であって、いざ行動してみると論理思考だけでは想像だにしなかった多くの課題に突き当たり、その都度感情の試練や意志の投入、一旦引いての論理の組み換えやらと実体化には知情意の魂の投入が必要になる。そんなことは周知の事実でありながらも足が地に着いていない食口はそれを理解していない。だから原理坊やと揶揄されお花畑信仰と嘲笑される。私達の歩みで反省すべき問題の一つは、目標達成という果実を得る為の行動だと言いながら、実態は条件としての行動であって本来の目標達成にはならない。すなわち目標を得る為の行動から信仰基台という条件の為の行動にすり替えているということだ。今までの願われた目標の殆どが実らなかったのは、一般の目からすれば頓珍漢な条件的行動で終始するものだから実らないのは当然だ。今回の解散命令請求が出され、長い沈黙の末にやっと重い腰を上げたかと思うと、その行動はデモ行進だという。この期に及んでデモ行進が請求差し止めにどう役目を果たすのか、私は理解できない。私はというと、首を洗って解散要求を先ず受け入れる派だからどうだっていいのだが、教会支持派がこんな頓珍漢な行動に出るのはやはり条件の為の行動という、すなわち条件を捧げて神の援助や断罪を待つという天にすがる意識からの行動に過ぎない。だからこんな、請求差し止めとは直接関係のない指示が出たりする。今は旧約時代に歩む選民ではないから、神が剣で制裁するような直接的奇跡は起こらない。でも相も変わらず選民思考が強いのか、神は我々の味方だから何か起こると信じ切っている。食口は先天時代の幼い信仰からどうしたら抜け出せるのだろうか。言えば私達の復帰路程も同じであって、どれほど原理で論理立てみ言葉で武装するにしても、現実世界では献金だ会員数だと条件物のみに終始していて、内的試練を超えて内的霊的成長をみることはない。ノルマの条件さえ供えればエレベーター式に復帰されるなどありえないし、勝利された心情圏を相続できることもない。