社長は社長で深く祈り、熟慮に熟慮を重ねた末の発案であり結論であると思う。しかし受ける側に於いて、その為さんとし背負おうとしている組織作りの意味も、そのための借金の重みも、理解しているとは思えない。皆の目は一様に据わってはいない。自分には何も降りかかるものはないと安心し切っている。自分の会社や店であるなら、たとえ発展的な投資だとして、借金するにしても相当の腹なり決意が必要なのだ。その重みある言葉のひとつも兄弟の言動から感じることはない。更に言うとその借金も店にとっては投資の為の発展的なものではなく、莫大な損金でしかない。敢えて言うなら私も含めて
無意識的に無責任であるのが悲しいかな大方の兄弟だ。ある意味我々の組織は過保護であり過ぎたのだと思う。給料や報酬という、仕事に対する根本的制度を否定してきた為に、減収措置を取られることを始めとする責任を取るという意味合いがわからないで来ている。どんなにポカをしても形として自分に火の粉はかからない。ならば責任を取らせて指を詰めるとか腹を切るとか責任の取り方を要求していれば今の能天気な状態にはならなかっただろうにと思う。責任を取ることを知らない人間が、物事に対して本質的真剣さを学ぶことはない。今となっては道楽的体質の個人も組織も使い物にならない。祝福家庭だからというただそれだけで生きながらえて来た者は、自分を変革することなしに生き延びることは今後ありえないだろう。
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