2008年4月29日火曜日

久々の要請

死刑囚が処刑の日取りを告げられるような膠着反応を起こす。何度要請を戴いても心の海の波浪はより高まることはあっても静まることは無い。連絡してくる姉妹に私の度を越えた動揺が解るだろうか。あまりにも軽いトーンで電話連絡が来る。それで無くともガラス細工の様相そのものの在り方をした自分の内面は、それこそ処刑の場に赴く覚悟を迫られる。言葉の上だけでない本当の覚悟を自分の中で処理して初めて準備なり何なり、先に向けて行動することが出来る。感謝感謝というが感謝できないからわざわざ感謝する意思を働こうとさせる必要がある。感謝の念を備えるために感謝できない思いを超える必要がある。感謝できるその路程は堕落の世で築かれた自分の身体と心には苦痛以外何物でもない。その苦痛を乗り越えていって始めて感謝の本当の意味が見えてくる。その確信の度合いが信仰であり、自分を犠牲にしながら父母様との何らかの関係を戴くことで背後にある先祖であったりその地の霊であったりまたこの国の霊的背後に益する、そういう公的意識を最優先する意志こそ新しい心情意識を開拓するものだと思う。事実、今までそのような過程を通して一段上がった意識に目覚め気付かされてきた。その勝ち取った意識や、父母様や神様との心情因縁こそ感謝してもしつくせない何にも換え難い霊的財産である。その価値を確信すればこその総ての歩みである。ゆめゆめ受け入れてくださること等期待せず、ただただ精誠を尽くすことだけに集中する、それは父母様の心情にかするだけのほどの想いであっても通づるはずだと思う。

2008年4月24日木曜日

言語霊

アメリカに来て二十数年経つが未だにまともな英語は喋れない。決して自慢できる話ではないが日常生活に必要な最低限のカタコト英語で息を繋いできた。同じ頃にアメリカの地を踏んだ同士は何人か知っているが、皆それぞれに程度はまちまちである。中には私と話しても日本語よりも先にENGLISHが口をついて出るような者もいるし、発音は怪しいが何の苦も無くビジネス英語を操る者もいる。私なんぞは、お前今まで何をやってきたんだ、と言われんばかりに最も言語発育が遅れた部類に入るのだろう。言い訳するつもりはないが敢えて英語とは距離を置くようにしてきた、と言って置くことにする。英会話の上達が早い者の多くに共通することは、元々話好きだという事が一つにはある。会話好きというよりは喋り好きと言ったほうがいいかも知れない。今ひとつは自分のやりたいように振舞うタイプの人間が多い。そういう連中は最初から英語を使うことに何の苦も感じない。辺りかまわず人を捕まえてはブロークンENGLISHで話しかける。上達が早いと言ったけれど彼らは決して上品で美しい英語は身につかないし深い会話は出来ない。しかし中にはネイティブの人と深い議論を交わしたり、彼らを言いくるめるどころか感動さえ与えるつわものもいたりする。こういった連中は得てして国語もしっかりしているし考え方もぶれる事は無い。ブロークンENGLISHであれネイティブに近いENGLISHであれ英語を使うことに慣れた者は、多少の差はあれ普通の日本人とは幾らかかけ離れている。それが良いとか悪いとかいうことではなく、その言葉を身に着けるという意味は言葉の文化をも自分のものにするということにある。その国の言葉とその国の文化は切っても切れない表裏一体のものだと思う。言葉を身につければ否が応でも背景の文化をも身に着けざるを得ない。アメリカナイズという言葉を良く用いられる。決して良い意味に使われることは無い。適当に言葉を身に着けたが故に、適当な言葉、スラングや汚い言葉に含まれるその国の悪しき慣習をも身に着けている。ここで敢えて自分の事を言うなら、自分は適当な英語を学んでアメリカナイズされたくなかったということだ。更に英語文化の考え方や発想の仕方と日本でのそれとは根本的に違う、と思う。それを論証してみろと言われれば困るが直感として間違いないと思う。アメリカに住んでいようが自分は日本民族の血で成り立っている。自分が育まれた感性をいたずらに他の文化に染まることで壊したくは無い。そういった感性を尊いものと信ずればこそ、この地で彼らの文化の中で育んで来た彼らの感性をも尊敬できる姿勢が取れる。言葉に言霊があり言語に言語霊民族霊がある。

2008年4月23日水曜日

アダムエバ問題

むかしから自分にとって関心のある本は片っ端から手に取った。最近になって愛の行為に対する真面目な書物がポツポツと出版されるようになったが少し前まではいかがわしさプンプンの物ばかりだった。向学のためと言い訳しつつそういった類のものを手にとって見るのだが結局は動物的本能を刺激する以外の何物でもなく必ず後になって悔いることになる。五十も過ぎれば落ち着いてくるが復帰された時は青年期のど真ん中で、どんなに自分を繕っても関心はそこに行く。信仰路程の大半は異性に向かう想いや衝動をどう主管していくかという課題に翻弄させられる。朝から夜遅くまで走り回りノルマに追われることで、そういう意識に囚われないよう、謂わば触れない見ないという環境を強いることで性意識に対する蓋をするのだが、うまくいくはずがない。避ければ避けるほど意識は大きくなり爆発する。一線を越えるとなると相手が必要になるためそこまでの冒険をする度胸もないし捨て身にもなれないが、そういう落とし穴にはまる兄弟を見ながら環境さえ整えば明日は我が身だといつも思っていた。妻には話していないがまだ若い頃、どうにも衝動を抑えるのが難しい、想いが行って行ってどうしようもなく、悪魔の罠に嵌るのも時間の問題ではないかと窮したことがあった。気付いた時は感情それ自体が生き物のように自分をがんじがらめにしていた。こうなると原理も何もない。理屈で抑えられる代物ではない。理屈では分かっているが感情は理屈を超えたところで噴出す。感覚魂意思魂のベクトルが総力を挙げて相手に向かう。どのような種類の愛であれメガトン級のパワーが自分の全てを凌駕する、その愛の力というものをへとへとになりながら思い知らされた。理屈も時間も、そして或る意味み言葉も無力だった。我が信仰生活の中でこれが最も大きな峠だという自覚があった。愛にはそれ以上の愛をもってしか超えることはできない。必ずそれを超える愛が届くことをひたすら信じひたすら待つ。愛の火の海に溺れ、身を焦がし、息絶え絶えになりながらの日々を重ね、とにかく待つ。自分の中で偽りに違いないしかし愛という姿の悪神と、真の愛に根ざしたはずのしかし愛の雰囲気とは程遠い善神とが一進一退の熾烈な戦いを繰り広げる。相手の姿で占められた魂の中に父母様の顔が少しずつ少しずつ見えてくる。相手に向いている想いが少しずつ少しずつ相対者に向いていく。微妙な変化を認識しながら癒える見通しがつくまで一年以上を要したと思う。抑えられない感情を持て余しながらも、その感情の背後に見え隠れする堕落天使たちの犯した愛の罪に対する戸惑いと神に背かざるを得なかった遣り切れなさを見た思いがした。相手に取って自分は天使長の位置にあることは明瞭だった。その間、自分の不甲斐なさだけでなく天使長の立場で涙を流し相手の立場で涙を流し相対者の立場で涙を流し、愛の問題で苦しみ続けた多くの霊に対して涙を流しそして神様の立場で涙を流した。いろんな涙が時間をかけて魂を鎮め自分の本来の位置を取り戻していった。

2008年4月20日日曜日

思い

僅か一日の歩みを振り返っても種々雑多の万にも及ぶ思いが去来する。その一つ一つの思いがどこから来てどういう作用を為しどう動いていくのか。思いは頭から発せられるものでそれ自体は影のようなもの、唯物思想に毒された者はそう捉えて何の疑いも持たない。科学的というこの世の五感でしか計りえないものしか信じない。見えないもの五感で感じることができないもの、それは非科学的だと一蹴する。宗教だとか信仰だとかというものは弱いものがすがるものであったり、特別な人変わった人が関わるものであったり、或いはファッションやスタイルという軽い気持ちのノリであったりする。そういった人々に比べれば我々は紙一枚次元の高いところに位置するのかもしれない。しかし生活の中でどの程度の違いがあるだろうかと問えば殆ど無いと思う。それは本当の意味で自分の霊人体の有り様が解っていないからだ。いろんな思いがどう霊人体に関わって作用しているのか理解していないからだ。そこを見ようとする意思が芽生えて初めてみ言葉の本当の価値が見えてくる。祝福の意味、み旨を歩むことの意味が見えてくる。本質の世界が開けてくる。自分の中に去来する思いを唯の影として捉える意識が我々にも往々にしてある。兄弟姉妹に対してどういう思いをその一人一人に持っているか、決して良い思いばかりではないはずだ。些細な感情もよくよく観察するといろんな否定的思いが浮き上がってくる。そういう思いはまだいい方で本当にそれすらない全くの無関心ということも多々ある。様々な想いで自分の霊界は形作られる。その思い一つ一つを観察すれば建立している自分の霊界が地獄なのか天国なのか見えてくる。分別するというすばらしい言葉を与えられている。様々な思い一つ一つをその都度自分の身にするか否かを選択できる。それは肉体を持った者の特権である。分別選択という過程が自分の霊人体を形作るわけだ。魂の奥から語りかけてくる良心の声こそ神様から直接届く働きかけである。そこに耳を澄ましながら自分に去来する思いを分別選択する。身体に現れる、行動として現れるその全ては自分の中で勝ち残った思いに拠っている。

2008年4月17日木曜日

一体化とは

与えられた目標を達成する、願われている摂理内容を勝利する、成功や勝利の方程式をどう解いていくか。一体化していないから勝利できない、おそらくそうだろう。自分自身ですら心の指向する内容に行動をマッチさせることが出来ない。心と体がひとつになっていない。だからひとつになることや一体化が鍵である。そこまでは誰も納得する。しかしひとつになるとか一体化するとかという言葉の意味を本当に理解しているか。ひとつになりきれていない自分に一体化の概念が理解できるか。おそらく我々は何も分かっていない。何も分かっていない自分を認めない限り次の一歩は踏み出せない。我々が良く使う一体化するとは同じ方向、同じ目的、同じ行動を意味するのだと思う。そういう意味が一体化にあると捉えて、一体化一体化と念仏のように自分の中で念じお互いの間でその言葉のやり取りをすることで本当に一体化できるのだろうか。今までは一体化の意味が理解できているかいないかさえも解らず、抽象的な捉え方がさも当たり前だと疑問にすら感ぜず歩んできたことは事実だ。しかし今の今、この言葉の持つ意味を明確にして一体化の概念が鮮明にイメージできる自分となり我々となる必要があると思う。その言葉に生命が吹き込まれ生きて我々に作用する力が備わってこそ目標を達成し、願われる摂理内容を勝利できるエネルギーになるはずだ。創造権を得るとはそういったことだと思う。我々は祝福を得て創造権、主管権を与えられた立場である。火花が飛ぶような生きた思考が為され言葉の持つ力を真に理解できたときその言葉を主管できる。成功や勝利の方程式が生き生きと空間に浮き上がってくる。今自分が捉えている観念をぶっ壊し新しい意識に目覚めない限り、新しい次元を見渡すことは出来ない。自分で自分の観念を壊すことが出来ないなら外部から来る力で自分の凝り固まった観念を壊してもらうしかない。しかし本当に自分にその力は備わっていないのか。他力本願でしか自分は変わらないのか。祝福を与えられた我々の中に真の父母の勝利圏が息づいているはずだ。その勝利圏を拡大しながら神様に根ざす真の観念が芽を吹き、生命のある言葉を操ることが出来る自分になれるという信念を持たないと希望は見えてこない。

2008年4月11日金曜日

祝福

祝福を頂いたことで私がこの世に生を受けたことの意味を問う必要はなくなった。祝福を頂いたと言う事実は生きることの意味や目的を知って余りある程の奇跡的な大事件である。勿論祝福の意味や価値を全面的に理解しているわけではない。しかし祝福がどれほど尊いか、宇宙を頂くに等しい、人間として想像しうるあらゆる人生や権力や財も及ぶべくも無い内容がそこにあることは理解できる。祝福を受けて真の父母と父子の因縁、親子の因縁を結ぶ。偽りの愛が宇宙を覆い、偽りの愛で人類は歴史を繋ぎ文化を育んできた。真の愛の地上に於ける定着はイエス様が為されようとしたが失敗に終わっている。ルシファーと悪の一群によって偽りの愛で世は治められている。祝福を通して自我の中に真の愛の種を戴く。自分の中で真の愛の種が芽を出し育ち真の愛の大木になっていく。真の愛の日差しに咲く花が人類と万物に対して受けた祝福を分かち与えられるよう、風に揺れる光り輝く緑の葉から真の愛の光が紡ぎ出され人々の魂を照らすよう、自分の中で祝福の木が育っている。真の愛を滴るほどに含んだ瑞々しい感情がほとばしり、無機質で無味乾燥の思考が生命を得て輝き創造を始める。魂は自分という枠に捕らえられ内向きに収縮し、奪うこと受けることだけに専念してきた意志は生命を得て輝き分かち与える意志として柔らかくも暖かい光を外に向けて放つようになる。小さな肉体という覆いの中で燻っていた意識が広く深く大きくなり、家庭を包み込みやがて社会、世界を包み込む。自我という捕らわれの想いから宇宙への想いに解き放たれる。祝福を通して戴いた真の愛の種は堕落という偽りの愛で存在たら占めていたこの固体を、真の愛の細胞一つ一つで築かれる個性体として生まれ変わっていく。

2008年4月6日日曜日

河童その弐

水かさは大きく増して目が舞うほどの速さで下流に移動していた。両岸沿いに大人の背丈ほどもある笹も下半分はつかり上のほうも濁流に飲まれながら大きく揺れていた。いつもはゆったりと流れ川沿いの大笹に隠れて川面は日中でも暗い。子供の目には大きく見えたがさして広い川ではない。目尺で四、五間といったところか。しかしその時は増水で倍以上になっていた。丸太の表面を足幅ほどに平たく削ったものを二本かすがいで繋いだだけの簡素な橋が渡してある。祖父が昔つくったものだ。父は少し躊躇したようだか私の手を握り橋に足をかけた。父に手を引かれた私、その後に続いて祖父だったか妹だったか、覚えていない。雨で滑る丸太の表面をゆっくり進んでいった。足元に注意すれば嫌でも濁流に目が行く。黄褐色の濁流に目が回って足元がおぼつかない。父が対岸に足が届く頃後ろのほうで声がした。川の濁流音でかき消されながら祖父が何か叫んでいた。父も私も咄嗟に振り向いた。妹がいない。視界から消えていた。祖父が川下に向かい叫んだ。(つかまれ、、、つかまれ、、、)。祖父の視線の方向に何も見えない。少し遠くに目をやれば煙った向こうに、流された赤い傘がどんどん小さくなっていく。祖父は丸太橋を引返すと背負っていたビク(竹で編んだ背負い子)を投げ捨て急いで大笹を搔き分け川岸に下りていった。祖父の進む先に浮き沈みしている小さい背中が見えた。小さな両手でしっかりと笹をつかんで握り締めていた。祖父は腰まで浸かりながら妹の手首をつかんだ。妹を引き寄せ笹を手繰り寄せながら這い上がろうとする。父も対岸に私を置くと急いで取って返し川岸に下りていった。私の目に引き上げられた妹の手や首が動いているのがやっと確認できた。緊張感から解き放たれた。父は妹を背負うとゆっくり丸太橋を渡ってきた。祖父が妹の背をさすりながら後に続いた。二人にも安堵の表情が浮かんでいた。泥水でお下げ髪はへばりつき体を震わせながら憔悴しきった力の無い目で兄の私を見る。何か声を掛けてやりたかったが体裁が悪かった。その事が起きてからこの丸太橋は消えた。祖父が取り去ったのだろう。田んぼに行くにも帰るにも遠回りをしてちゃんと欄干のある橋を渡ることになった。河童が出るという話は前から聞いていた。妹が落ちたのもただ足を滑らせただけで見たこともない河童の仕業とはいえない。何かに足首を引っ張られたと妹が口にしても誰も相手にはしない。しかし後で思い起こすと、濁流の中に妹が浮き沈みしている背中に細い腕がまわっていたようないないような、、、、、。

2008年4月5日土曜日

河童その一

朝方取り掛かった頃は青空に白い雲がたなびき田植え仕事にはちょうど良い按配だった。順調にはかどり昼飯時を迎えた。父と祖父は土がこびり付いた手の甲や素足を簡単に漱ぐと畦に腰掛け、梅干弁当を広げた。自分と妹はまだ学校に上がる前で役には立たないが田んぼにはよく行った。父と祖父のように畦に腰掛け足を投げ出して小さいムスビをほうばった。植えたばかりの苗が風に揺らぎ水を張った田がキラキラ輝いてみんな眩しそうにしていた。一服ついた後二人はやおら腰を上げて残りの仕事に取り掛かる。小さい自分はまだ田んぼには入れない。苗の束を父と祖父の近くに投げ入れる。妹もやらしてくれとねだったりする。のどかな時間が流れた。しかし小一時間たった頃、黒い雲が西の山裾から広がってきた。先ほどまで早鳴きのカッコウが響いていたがいつの間にか止んだ。雲は次第に押し寄せてくると益々黒さを増し、手が届きそうなほどに低くせり出し、見る見るうちに東の山まですっぽり覆ってしまった。昼過ぎのはずだが今にも暮れ落ちそうな具合だ。それでもまだ雲の動きは止む気配は無くそこら中で大きくとぐろを巻いたりそれが絡まったり、黒い竜が蛇腹をこすり合わせながら組つほぐれつしているように見えた。時折腹にこたえる雷鳴が低く響き渡る。大粒の雨が頭を叩き始めるやすぐに嵐の様相となる。納屋に退散する間も許さず強い風雨に捕らわれる。競争するように辿り着くとしばらく強い雨脚を立ちすくんでみんな眺めていた。雨もすごいが風もすごい。麗らかな午前中の景色からすると目を疑うほどだ。暫くして父と祖父は顔を見合わせた。(今日は仕事にならんで、、、)祖父の言葉を受けて父は納屋の奥のほうから傘を数本持ち出してきた。埃を被った破れ傘をそれぞれ手にして帰途に着いた。家への道は裏山を越えていく。さして大きな山ではない、半時間もあれば向こう斜面についてしまう。そして川を渡れば家はすぐそこだ。纏わりつく濡れ笹を足で搔き分けながら進んだ。雨の止む気配は無い。突風が予期せぬ方角から襲う。風に煽られ傘など役に立たない。傘が風に踊る。風雨に叩きつけられる。濡れた下着がまとわりつき体が思うように動かない。何かが起こりそうな気配に包まれた。四人が一まとめに黄泉の空間にさらわれた。

2008年4月2日水曜日

さくら

さくら、咲く。日本の国花が桜であるように日本人にとって桜は特別な意味を持つ。桜の花を視覚で受け取ると同時に桜に宿る霊魂に日本人の魂は包まれ染められる。美しいとか安らぐとか、そういった感情も味わうが、そういう感情の層の更に深みに作用する。昨夜からの小雨を朝まで引きずり、白々とする頃も霧雨に煙っていた。ワシントンモールのタイダルベイスンには明治の末、日本から贈られたソメイヨシノが湖岸の周りに植えられている。この時期綿雲が湧いたように薄桃色で湖岸は縁取られる。その美しさに影響を受けたのだろう。ワシントン周辺は桜の木が多く見られる。私が住むアパートも大きな桜の木が20本近くあり太い幹を水平に這わせ枝葉で天を覆っている。朝明ける頃は花びらは確認できたがまだ蕾んでいた。しっとりと濡れどんよりとした空に埋もれていた。しかし雑用に追われる一日を終える頃には空は晴れ渡り、気温もいつのまにか大きく上昇して、再び目にしたアパートの桜は一変していた。まだ数日先だろうと思っていた私を大きく驚かせた。全ての桜が一斉に花開いていた。今日一日の恵みを、燦々と地上に降り注いだ太陽は、既に遠くの木立に懸かろうとしている。溢れるばかりに受け取った恵みの陽光、その恵みを花びらに含めて一斉に開くことで喜びを表現していた。一面の薄桃色の天を仰ぎ見ながらその柔らかな甘い匂いに時を止めて浸る。呼吸も体液の流れも薄桃色に染まり、軽い酔いさえ覚えるくらいだ。つくづく自分は日本人だと思う。桜を題材にした歌は多い。その殆どが日本人としての魂が持っている、ある響きを共鳴させる。どれを聞いても魂の或る場所に同じ感覚を覚えさせる。桜の蕾みを前にして自分を誇張しない謙虚さを受け入れ、満開の桜を全身に受け取ることで、或る一瞬に全てを捧げる一途さを自分の中に見出し、はらはらと散る桜の中に佇む事で捨てきれずしがみついていた全ての煩悩を見送る。散る桜を見て寂しいのではない。寂しい感情に似ているが清清しい。大小の欲をひとつまたひとつ捨てながら心地よい神様への帰依を学ぶ。カメラが捕らえる瞬きの画像に自分を投影するのではなく、膨らみ始めた蕾みがやがて花開きそして散り行く一連の過程を自分の人生に重ねる。更に花一つ一つとしての魂ではなく日本民族として群れとしての魂を群舞する桜の中に我知らず見ている。自分が日本民族という群れの一部であることを桜舞う春に確認し、次の開花までの一年を桜の魂の在り様を糧にして過ごす。