2008年4月17日木曜日

一体化とは

与えられた目標を達成する、願われている摂理内容を勝利する、成功や勝利の方程式をどう解いていくか。一体化していないから勝利できない、おそらくそうだろう。自分自身ですら心の指向する内容に行動をマッチさせることが出来ない。心と体がひとつになっていない。だからひとつになることや一体化が鍵である。そこまでは誰も納得する。しかしひとつになるとか一体化するとかという言葉の意味を本当に理解しているか。ひとつになりきれていない自分に一体化の概念が理解できるか。おそらく我々は何も分かっていない。何も分かっていない自分を認めない限り次の一歩は踏み出せない。我々が良く使う一体化するとは同じ方向、同じ目的、同じ行動を意味するのだと思う。そういう意味が一体化にあると捉えて、一体化一体化と念仏のように自分の中で念じお互いの間でその言葉のやり取りをすることで本当に一体化できるのだろうか。今までは一体化の意味が理解できているかいないかさえも解らず、抽象的な捉え方がさも当たり前だと疑問にすら感ぜず歩んできたことは事実だ。しかし今の今、この言葉の持つ意味を明確にして一体化の概念が鮮明にイメージできる自分となり我々となる必要があると思う。その言葉に生命が吹き込まれ生きて我々に作用する力が備わってこそ目標を達成し、願われる摂理内容を勝利できるエネルギーになるはずだ。創造権を得るとはそういったことだと思う。我々は祝福を得て創造権、主管権を与えられた立場である。火花が飛ぶような生きた思考が為され言葉の持つ力を真に理解できたときその言葉を主管できる。成功や勝利の方程式が生き生きと空間に浮き上がってくる。今自分が捉えている観念をぶっ壊し新しい意識に目覚めない限り、新しい次元を見渡すことは出来ない。自分で自分の観念を壊すことが出来ないなら外部から来る力で自分の凝り固まった観念を壊してもらうしかない。しかし本当に自分にその力は備わっていないのか。他力本願でしか自分は変わらないのか。祝福を与えられた我々の中に真の父母の勝利圏が息づいているはずだ。その勝利圏を拡大しながら神様に根ざす真の観念が芽を吹き、生命のある言葉を操ることが出来る自分になれるという信念を持たないと希望は見えてこない。

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