2008年4月11日金曜日
祝福
祝福を頂いたことで私がこの世に生を受けたことの意味を問う必要はなくなった。祝福を頂いたと言う事実は生きることの意味や目的を知って余りある程の奇跡的な大事件である。勿論祝福の意味や価値を全面的に理解しているわけではない。しかし祝福がどれほど尊いか、宇宙を頂くに等しい、人間として想像しうるあらゆる人生や権力や財も及ぶべくも無い内容がそこにあることは理解できる。祝福を受けて真の父母と父子の因縁、親子の因縁を結ぶ。偽りの愛が宇宙を覆い、偽りの愛で人類は歴史を繋ぎ文化を育んできた。真の愛の地上に於ける定着はイエス様が為されようとしたが失敗に終わっている。ルシファーと悪の一群によって偽りの愛で世は治められている。祝福を通して自我の中に真の愛の種を戴く。自分の中で真の愛の種が芽を出し育ち真の愛の大木になっていく。真の愛の日差しに咲く花が人類と万物に対して受けた祝福を分かち与えられるよう、風に揺れる光り輝く緑の葉から真の愛の光が紡ぎ出され人々の魂を照らすよう、自分の中で祝福の木が育っている。真の愛を滴るほどに含んだ瑞々しい感情がほとばしり、無機質で無味乾燥の思考が生命を得て輝き創造を始める。魂は自分という枠に捕らえられ内向きに収縮し、奪うこと受けることだけに専念してきた意志は生命を得て輝き分かち与える意志として柔らかくも暖かい光を外に向けて放つようになる。小さな肉体という覆いの中で燻っていた意識が広く深く大きくなり、家庭を包み込みやがて社会、世界を包み込む。自我という捕らわれの想いから宇宙への想いに解き放たれる。祝福を通して戴いた真の愛の種は堕落という偽りの愛で存在たら占めていたこの固体を、真の愛の細胞一つ一つで築かれる個性体として生まれ変わっていく。
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