2008年4月6日日曜日
河童その弐
水かさは大きく増して目が舞うほどの速さで下流に移動していた。両岸沿いに大人の背丈ほどもある笹も下半分はつかり上のほうも濁流に飲まれながら大きく揺れていた。いつもはゆったりと流れ川沿いの大笹に隠れて川面は日中でも暗い。子供の目には大きく見えたがさして広い川ではない。目尺で四、五間といったところか。しかしその時は増水で倍以上になっていた。丸太の表面を足幅ほどに平たく削ったものを二本かすがいで繋いだだけの簡素な橋が渡してある。祖父が昔つくったものだ。父は少し躊躇したようだか私の手を握り橋に足をかけた。父に手を引かれた私、その後に続いて祖父だったか妹だったか、覚えていない。雨で滑る丸太の表面をゆっくり進んでいった。足元に注意すれば嫌でも濁流に目が行く。黄褐色の濁流に目が回って足元がおぼつかない。父が対岸に足が届く頃後ろのほうで声がした。川の濁流音でかき消されながら祖父が何か叫んでいた。父も私も咄嗟に振り向いた。妹がいない。視界から消えていた。祖父が川下に向かい叫んだ。(つかまれ、、、つかまれ、、、)。祖父の視線の方向に何も見えない。少し遠くに目をやれば煙った向こうに、流された赤い傘がどんどん小さくなっていく。祖父は丸太橋を引返すと背負っていたビク(竹で編んだ背負い子)を投げ捨て急いで大笹を搔き分け川岸に下りていった。祖父の進む先に浮き沈みしている小さい背中が見えた。小さな両手でしっかりと笹をつかんで握り締めていた。祖父は腰まで浸かりながら妹の手首をつかんだ。妹を引き寄せ笹を手繰り寄せながら這い上がろうとする。父も対岸に私を置くと急いで取って返し川岸に下りていった。私の目に引き上げられた妹の手や首が動いているのがやっと確認できた。緊張感から解き放たれた。父は妹を背負うとゆっくり丸太橋を渡ってきた。祖父が妹の背をさすりながら後に続いた。二人にも安堵の表情が浮かんでいた。泥水でお下げ髪はへばりつき体を震わせながら憔悴しきった力の無い目で兄の私を見る。何か声を掛けてやりたかったが体裁が悪かった。その事が起きてからこの丸太橋は消えた。祖父が取り去ったのだろう。田んぼに行くにも帰るにも遠回りをしてちゃんと欄干のある橋を渡ることになった。河童が出るという話は前から聞いていた。妹が落ちたのもただ足を滑らせただけで見たこともない河童の仕業とはいえない。何かに足首を引っ張られたと妹が口にしても誰も相手にはしない。しかし後で思い起こすと、濁流の中に妹が浮き沈みしている背中に細い腕がまわっていたようないないような、、、、、。
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