2015年1月3日土曜日

裸の王様

王の側近達が、もともと存在しない王衣でありながら、彼らの見栄でもって誰もが自分には見えると言ってのけ、その存在しない王衣をあたかも着ているかのように皆が振る舞うことで、裸の王様が成立している。御父様に対して責任者たちが盛って盛って報告してきたものだから、彼等の見栄に対するツケが大きな借金となって食口達にしわ寄せがいってしまった。食口達にしわ寄せがいくのみならず、正直に報告される御子女様をも蚊帳の外に押し出してしまった。それが現実であるのに、その現実を御父様が認識しておられないと、言っても難しいと、御父様に直談判しようとすればするほど墓穴を掘る格好になってしまった。グループ派の訴えたいことは概ねそういうことになる。御父様が信頼される責任者たちの見栄が、御父様を裸の王様に仕立て上げてしまったということらしい。表面的にはそういう説明も成立し得る。しかしそれは表面的な現実であって、その背後に何が流れているのかを見通さなければ本質からずれてしまう。御父様を地上の法則や規律に引っ張って落とし込む霊的な反逆行為であることを見通していない。復帰原理を学んだ私達であれば、道徳や常識では考えられない戦略、いや策略といってもいい事柄がその都度神側から仕掛けられていて、天の意志として復帰摂理を導いている。ダビデがウリヤの妻、バドシェバと密通して生まれた子がイエス様の系図に登場するし、タマルやルツ、ラハブにしても道徳や常識では考えられない彼女らの行動が天の戦略だったことを私達は理解している。御父様は裸の王様になっていると食口達を煽り、真実を述べる責任者を立てるために様々な謀反を起こし、そこに落ち着くことなく更には御母様のみ言葉編纂や御自身に対する言動を取って、御母様すらも御父様に反しているとまで言ってのける。ちょうどハムがノアの裸であるのを見て兄弟達を煽ったのと変わりない。御父様が裸だと思うのなら御父母様にその疑問をぶつければいいものを、食口達を煽ればハムと同じ過ちを犯してしまう。すでに犯している。食口達に訴えることで御父母様一体圏にひびを入れようとする行為にはなっても、一体圏をさらに強固にする行動とはとてもいえない。ビデオに取ってまで訴えられるお気持ちは個人的には察するとしても、方向性を間違えていて、裸の王様だと訴えれば訴えるほど一体圏を阻止する力となる。表面的にはどう捉えられるとしても、御父様は裸の王様ではないし、御母様が裸の王様に仕立て上げた責任者たちと同じではない。大体どこに御父様を言いくるめて手玉に乗せるほどのサタンの上を行く人物が責任者の中にいるというのだろうか。随分前に食卓に着かれた御父様の背後から、盛り付けた食器を差し出したことがある。通常は御付きの姉妹がするのだが、その時は誰もおらず私が作り私が提供した。その時感じたのは背中が丸くなって屈みこんでおられ、御父様が小さく見えた。一人の小さな老人に見えてしまった。御年を取られたのだなあという切なさで背後を離れた。御父様も人間の肉体を持っておられるのであり、年を重ねられれば肉体的力も失われ、記憶や判断もかつての容量や鋭さも失っていく。現実的問題としてそれによって起こるであろう誤解も生まれるわけで、支える御母様の御苦労も、通常の自分達だけで支え合うだけでいい老いゆく夫婦と異なり、計り知れないものがあったと察する。少々のお互いの理解の喰い違いは生じるとしても、その一つ一つを言い募って、御母様を批判の矢面にするのはどう考えてもおかしい。その衝動を自分の足りなさ拙さだと自覚して、自分が御父母様一体圏を支えていきたい衝動にかえるべきだろう。親が喧嘩するのを見て、どちらか一方に立って父親なり母親をなじるのだろうか。お互いの間に入ってそれぞれを立てながら仲裁してこそ、成長して大人になった子供とは言えないだろうか。結果的にその仲裁する子供を見ながら親としての父母一体圏を実感するのではないだろうか。真の父母を支える教会に対して言いたいこともあるし、物足りないこともあるけれども、だからと言って反教会の旗を掲げて何の解決にもならない。改革すべきは心情を立てることができない私の内面にある。

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