2015年5月14日木曜日

今日の想い 850

私達の信仰は人間に対するものではない。真の父母に対して人間的な判断をしてはならないように人間的信仰に陥ってはならない。ある意味先天時代の統一信仰は、御父様の言われることに絶対服従するという人間真の父母信仰だったと言えなくは無い。御聖和された今、口を開かれる人間実体としての御父様はおられない。私達はみ言葉を訓読しながら、それでも御存命時の御父様の面影を彷彿させながら読み進めているが、明らかに御父様という人間実体を知らずに信仰を持たなければならない人間が地上を覆う。地上で生活しておられた人間実体イエス様を知らず、聖書だけを頼りにしてキリスト像を植え付けることでキリスト教を発展させてきたように、統一信仰もまたそのような路程を辿っていく。教会は混乱して、信仰のベクトルをどのように方向付けたらいいのか誰もが迷っているけれども、人間実体としての御父様を知らない二世三世が増えてくれば、所詮どの派に従うにしても一世達の人間真の父母に留まる信仰では頭打ちだ。私達の混乱は全て人間真の父母信仰の弊害として現れている。御父様御自身が真の父母の名を通して祈祷され、御父母様が真の父母の前に敬拝しておられた。御自身が真の父母であられるのに他の別の存在としての真の父母が恰もおられるように侍られているようで不思議に思ったけれども、祈祷され、敬拝される時の御父様は縦的に分離され、人間御父様から真の父母の位相に対しておられたのであり、私達の前で話され対する時は人間御父様と真の父母位相一体の御父様として立たれた。後天時代の信仰は人間御父様ではなく、位相を上げていかれた霊的実体としての御父様に侍るのでなければならず、人間実体御父様への信仰に留まったままではありとあらゆる派閥が生じざるを得ず、霊的実体であられ実体み言葉であられる御父様からは離れざるを得ないだろう。しかし両信仰の在り方が相反するものではなく、道徳教育の中に精神教育霊的教育がエキスとして抽出されるように、人間実体御父様信仰から実体み言葉御父様信仰が芽を出す。私達は未だ霊的無知であり、霊的事実について知らな過ぎることを度重ねて申し置きたい。長子権復帰、父母権復帰、さらに王権復帰というのも霊的言葉であり、真の父母という言葉も霊的言葉であり、人間真の父母信仰では真の父母の本当の価値はわからない。真の父母の血統圏にある私達祝福家庭だが、それは生理学的血統をいうのではなく、地上血縁を越えた霊的血統をいうのであって、霊的血統に繋がっている、霊的に真の父母から生まれ出た、という内的霊的理解をどのように深めていくかということだが、その理解は頭に拠る論理的理解を言うのではなく心情理解、心情相続をいう。

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