2015年5月27日水曜日
今日の想い 853
一般的な視点に立てば統一教会は分裂教会の様相を呈している。しかし絶対信仰絶対愛絶対服従の私の位置にに立つなら、口が裂けても冗談にでも分裂教会とは言えない。グループ派はグループ派で自分達が正しいと言い、七男派は七男派で自分達が正しいと言っている。現教会はどうかと言うと、自分が正しいと言うのであれば(御母様を中心とする)教会派なのだろうけれども、教会の中には自分達が正しいという旗を掲げずに、正しいか正しくないかという問題以前に御母様を支えたいという絶対信仰絶対愛絶対服従の位置に立った者達もいる。教会に関するブログ、多くはグループ派や七男派だが、それらが乱立しているのはそれぞれの視点、すなわち正しいか正しくないかという分立是認の位置に立って見る視点からそれぞれの言い分を上げている。道義的感覚から、それを良心に従ってという言い方をしている場合が多いが、道義的感覚からの善悪判断、それからみ言葉解釈からの善悪判断、あとは成り行きに任せてしまった言い訳めいた善悪判断という者達もいる。それはどこの派に身を置くとしてもそれぞれにそういった者達はいる。どこにも身を置かず御父様自体を否定してしまったいわゆる反対派の者達も、知情意に於ける何某かの判断がそうさせている。教会では反対派が出るたびに彼等がどう間違っているかを説明しているけれども、説明を受けなければ離れる者達は所詮いつかは離れていく。絶対信仰絶対愛絶対服従に立つなら正しいか正しくないかは二の次であって、御父母様の願いに応えたいという心情動機があるかないかが問われている。ひょっとしたら袂を分けていると思われるそれぞれの派の中にも、心情動機あっての行動としてそうなっている者もいるかも知れない。教会の中にも自分に都合がいいから留まっていると言う者達がいるように、御父母様の願いに応えたいという想いからそういう立場を取っている者達もいるはずだ。そうなると愛の競争であり愛と愛の戦いだ。正しいか正しくないかの戦いを繰り広げているが、誰がより御父母様を愛するかという戦いこそが正念場だ。論理的に説明できるかどうかなどどうだっていいとまでは言わないが、論理に主管されることは悪魔アフリマンに主管されていることだ。霊的に見るなら悪魔アフリマンとその手下達の食口への働きかけは尋常ではない。しかしどれほど悪魔連合が中枢に攻めてくるとしても、御父母様は勝利されて一体圏を確立されているため破壊することはできない。遅かれ早かれ分かれたものは、より心情を中心として、より強固に、一つになっていく。御母様は子女様方が必ず帰ってくることを見通しておられる。
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