2018年9月25日火曜日

今日の想い 1004

海外で暮らせば、自分の出身国がどれほど生きて生活する上で重要な要素になるかを思い知る。海外に行けばさしずめパスポート必需であり、日本国パスポートによって日本人としての待遇を受け日本人として日本国から保護されている。その認識があれば慰安婦だの強制連行だの大虐殺だのと、あることないこと自分からぶちまけて自国批判に火をつけることなどあり得ない。御父様も御母様も日本に対して批判的であるのは出自が韓国だからその通りだが、御父母様に霊的には全面的に帰依するとしても同じ口を持って批判する必要はないし同じ感情を持つ必要もない。日本人として日本文化の着物で身を包み、慰安婦を事実として謝罪行脚の先頭に立ったのなら、退会されようが今どこに所属されようがそれでもって日本国への罪を帳消しにされるものではなく、日本国に向けて顔を上げられるよう行動を取ることの方が先だろう。祝福家庭は御父母様の霊的血統圏にある子女であるけれども奴隷ではない。であるにもかかわらず自国を卑下してみたり、言われるがままに行動してみたりと、絶対服従と言いながらどうも子女としての姿勢ではなく奴隷然とした態度に終始しているようで、私としては日本食口への歯がゆさがある。そして奴隷である限り氏族復帰という発想など出てこない。復帰して祝福を受けさせ、御父母様への絶対忠誠を誓わせ献金ノルマを課せ続けるのだろうか。それが氏族復帰だろうか。食口は神様をどう捉えているのか、どう話を持ち掛けてもその認識から間違っているようで噛み合わないことがよくある。霊的位相を段階的に昇って行って最終的にオメガであられる神様に出会うわけだが、原理で説明を受けたことを勝手にイメージ解釈しそれを神様と祭るのはほぼ妄想に近い。原理を受けようが受けまいが、神様を見出す為に誰もが段階的に霊的位相の階段をのぼっているにも関わらず、原理を聞いたくらいで神様を既に捉えたと思い込んでいる単細胞食口がたくさんいる。氏族メシヤとして氏族復帰への使命を真剣に受け取るなら、氏族を途絶えさせずに私の代まで存続させた氏族の意志としての霊的柱を先ず想うべきだ。それは先祖供養や先祖崇拝で祈ってきた対象でもあるが、この存在こそが妄想的神様を敬う以上に畏敬の念で接し、意識もし、語り合わねばならない存在だ。それを無視して一足飛びに妄想的神様にどれだけお願いしようが聞き届けられるはずがない。個性完成するために良心に宿る神様であり、夫婦一体子女繁殖するために相対に宿り父母に宿る神様であり、そして氏族発展のために神様が宿る霊的柱は先祖の中に生きている。先祖祝福し解放したのであれば先ず先祖に自分の在り様を相談してみるべきだ。祝福はしたが無視し続けているなら祝福は活きない。それは神様を無視していることと同じ意味だ。

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