2021年10月20日水曜日

今日の想い 1114

 1980年代の半ば、アメリカ摂理に投入されるべく多くの食口が渡米していった。私もそのひとりなのだが、その殆どは経済摂理であり水産摂理でもある水産卸業やレストラン業務として全米に割り当てられて送られた。まだ活動華々しい頃でいろんな食口がいたが、相当に頭のきれる者から浮浪者上がりの者まで多種多様に及んだ。あの頃の食口の面々を思い出すと、今の食口と名のつく者達のいかに似たり寄ったりの集まりかがよくわかる。よく言えば平準化教育が為されたということだろうが、悪く言えば飼い慣らされて毒気もなければ気概もない者達の集まりと言える。ビジネス畑に今まで携わってきて、成功してやろうと思えばある種の欲と狡猾さや私こそが正しいと断言する程の傲慢さも必要だとわかるのだが、今の食口にはこれらは最も縁遠い。良くも悪くも強い個性と熱い想いを持っていた当時の食口達はどこに行ったのだろうか。離れたのでなければ去勢され飼い慣らされて今の大人しい食口になったのだろうか。アメリカ入国書類のsex欄にMale,Femaleとある。そこに週一と書いた阿保な兄弟がいたという話、またそれを隣の席の兄弟が見て笑いながら、せめて週二だろうと真面目に提案したという兄弟の話を又聞きし大笑いしたことがあったが、常識もなく頭はそれほどに悪くとも熱情と気概だけは大きかった。昔は多種多様な兄弟がいて、また目を見張るほど清く美しい姉妹もいて、それぞれに希望や夢を語ってそれがまた楽しかった。みんな相応に歳を取って丸く大人しくなってしまったのだろうか。人生の終末期に入り自分の人生を含めて摂理を担い走ってきた総括を、と思ってそうなのだろうか。私だけなのだろうか、今どんな責任者や牧会者の話を聞いても心躍らないし胸の内に届かないのは、、。アボジがアメリカを去られる前にアメリカ摂理の失敗と国の斜陽を語られたのは確かだ。しかし新たなアメリカ中心の世界摂理の明確な話をその後聞いたことがない。Eastgardenで語られた「平和の主人、血統の主人」は、アメリカ摂理の失敗をワシントンDCの大会後の祝勝会で話され、その数日後に語られた御言葉だ。予言とも言われる不可解な言葉が並んでいて、何度目を通しても理解できない箇所が多いのだが、ついて来たい者はきなさい、好きなようにしなさいという、なんとも投げやりともとれる言葉を吐露されていて、この言葉をどう受け取ればいいのか未だに天に尋ねている。

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