2021年10月21日木曜日

今日の想い 1116 (真の愛とは)

 御言葉を読めば真の愛と生殖器とが大きな関わりを持っていることがよくわかる。関わるどころか、夫婦で一つになった生殖器こそ真の愛の本宮と語られている。真の愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮、更には良心の本宮とまで語られている。これほどの生殖器をアダムエバは誤用したのであり、生殖器を荒らしたルーシェルは神様にとっては許しがたい姦夫ということになる。愛という言葉は誰もが知って使ってはいるが、しかしその概念はどこまでも抽象的であり捉えどころがなく、実体的存在感として捉えられるほどではなかった。イエス様の愛が霊的に留まっていると御言葉で説明されるのはそういう意味からだ。凹凸が一つになった生殖器こそ真の愛の本宮との御言葉こそ、愛の概念を実体的存在として表されたのであり、霊に留まっていた真の愛を地上に取り戻した人類歴史上最も画期的な愛の革命だろう。博愛はおそらく兄弟愛の進化形で、兄妹の関係からより深い関係性に入ると目をつぶって関知せずとなるが、一線を越えると神様が関与する愛というよりサタンが関与する愛と見たのだろうか。性欲という我欲が関与するのでそうなるのだろう。新約的には夫婦間に夫婦の愛というより兄妹の愛、博愛を暫定的に関わらせているように思う。コリント第一に「もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは結婚する方がよいからである。」とあるように、新約は結婚を奨励した位置にはなく譲歩した黙認に近い。夫婦の愛、さらには真の愛を人類全体として獲得するには、まだまだ神とサタンの配下達との攻防が祝福家庭の中ですら、いや祝福家庭だから尚更展開されるのだろう。

0 件のコメント: