2021年10月14日木曜日

今日の想い 1113

為に生きろと言われて、その意味を問う者は誰もいないのだろうか。為に生きる人生こそが真の愛の人生だとすれば、為に生きるとはどういうことかを追求する必要があると思うのだが、、。人前に立って説教する牧会者のように、愛だの為に生きるだのの言葉を使っていれば愛に生き為に生きている錯覚を覚えて自己満足している浮いた存在になるのではなく、私自身が愛であり為に生きる存在だといえる実体としての真の愛の果実とならなければならない。為に生きるとは与えて忘れることとあるけれども、何を与えるかとなると相手の必要なものを与えてこそ与えたことになるのであって、相手の身にならないもの、毒となるものを与えても与えたことにはならないだろう。親としては子に与えていると言いながら、実は甘やかせていて子に取っては毒になることも往々にしてある。教会活動としてひたすら献金に精を出すことが本当に為に生きることだろうか。祝福を数だけこなすことが為に生きることだろうか。与えることの意味をよくよく学ぶ必要があるのだろうが、正直なところ自分なんかはなかなか学びに至らなくて与えるところまで届かない、との言い訳は通用するだろうか。わからなくともわからないなりに祝福伝道と献金に邁進すべきだろうか。私達は先天時代を通してずっと学んできた。そしてわからないままに活動してきた。為に生きて来たのではなくずっと学んできたしただ活動してきた。数多の修練会に参加し御父様の御言葉漬けで学び続けてきた。後天時代に入りいよいよ本領発揮、与えること為に生きることを実践する時代圏に入ったのだが、さあどうしよう。

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