2022年5月13日金曜日

今日の想い 1151

 世間が閉鎖的であり遠ざけてきた以上に、信仰生活は性に対して閉鎖的であり遠ざけてきた。アボジがあれほどに熱く性について語られながら、しかし食口はアボジと同じ性に対する観を受け取れなかった。本宮として真の愛がその出会いの中でこそ存在するにも関わらず、偽りの出会いと真の出会いの本質的違いを見通せないまま、恥ずかしくも覆い隠したい肉的な情愛と肉的感覚だけが性に付き纏っている。未だに堕落的観念を超えることができずにいる。しかし恋愛感情を一旦否定しなければ受け入れられなかった祝福であり、生物的本能で相対に対する夫婦出発がある。アボジは知っておられたのだろうか、そこから夫婦感情を育てることがどれほど困難であるかを。祝福家庭をみたときに、兄妹、姉弟の関係で仲良くはなっても、夫婦愛の関係がどれほど築かれたかは疑問だ。私は夫婦愛は性なくして成り立たないと思っているし、性に関してアボジが話されたことや指示されたことは何よりも大切に思って学ぶべきだったと思う。しかし相変わらず姉妹達の化粧っ気なしが当然であったり、女性的魅力とは程遠い内外は、自ずと夫に対する艶っぽさを堕落的なものとして否定し、磨こうともしないのは明らかだ。薦めるのは問題視されそうだが、官能的書物や映像を見てでも研究し学ぶ必要があると個人的には思う。そういったものを堕落的だと真っ向から否定していいものかどうか、せめて考える余地くらいはあると思う。もう一度念を押すが、真の愛の本宮は夫婦で交わる生殖器にある。乾いた関係は、どれほど仲良く暮らしたとしても、神様が訪ねて下さる愛の本宮ではない。

0 件のコメント: