大漁
朝焼け小焼けだ、大漁だ。大羽鰮(オオバイワシ)の大漁だ。
浜はまつりのようだけど、海のなかでは何万の、鰮のとむらいするだろう。
金子みすゞ
何万という兵士や住民の生命を天に供えて、地上では涙のとむらいに明け暮れるとしても、数十年の月日で雁字搦めになった地上を、御破算で願う零点に戻す為「戦争」という蕩尽で霊界の祭事が為される。戦争の霊的意味はそういう何某かの清算だろう。人間はやがては霊界に帰っていく存在だ。しかし多数の犠牲を伴う地震や津波の災害も、地球を席巻する流行り病も、そして民族間国家間の戦争も、自然災害は鉱物位相によるのだろうし、流行り病は植物位相によるのだろうし、そして戦争は大義名分はどうあれ本能的動物位相によるというそれぞれのステージを祭壇にする霊的祭事に違いない。祭事を通してアベルとカインが振り分けられるだろうし、地上の覇権を握ってきた者達は、カインの頭としてアベルに頭を下げて繋がらなければ、祭事を超えた新しい時代圏へと生き永らえることはできない。その意味で戦争が終わったとしても、もはや既存の社会体制に戻ることはなく、一度平準化されたのちより御心に適う新たな体制が築かれるはずだ。コロナ以前とコロナ後が異なる世界であるように、戦争以前と戦争後は全く異なる世界になる。日本がどれほど重要な立場にあるかは、母の国としてアボジの教育を受けてきた者達はわかっているはずだが、以前のような力による権威主義ではなく他の為に生き他国の為に生きる謂わば母親の権威でこそ神様も大天使達も共にあって協助できる。しかし日本は日本で、それだけの決意覚悟ができているかどうかは疑問だ。為せないなら腹をかき切るくらいの決意が願われるが、それだけの気概を得る為に日本は日本の摂理としての蕩尽、巨大災害を甘受させる許可が必要なのかどうか、、。それなくしても目覚めることができればと切に願うばかりだが、混迷の中でこそ精神性はより高まり、その中でこそ強力な指導者が出現してきたのは歴史の事実としてある。
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