2022年12月6日火曜日

今日の想い 1212

 親の脛をしっかりかじってきて、それなりの子としての活動する風を装いながら、結局実を残す何の成長もせぬまま今にいたった。ある程度成長して独り立ちすれば逆に親の面倒を見て当然だろう。それどころかいくつになっても親の脛をかじり続ける。そんな子供を世間では何といって戒めるか。いつまでも甘えるんじゃないと早々に送金は絶つはずだ。腐りきった子供ならそれでも甘え続けるだろうし、そんな子供が自立する時がどういう時かというと、かじる親の脛がなくなった時、すなわち親が死んだ時か全く動けなくなった時、初めて自立する覚悟をせざるを得ない。母の国として日本食口がやってきたことは、夫にも子供に対してもそんなことだ。そして今日本食口は活動どころか信仰を維持するのさえ困難なほど息の根を止められつつある。今こそ本部教会や長男である米国教会を始めとする側からの援助が必要な時なのに、援助がなければ息の根を止められかねないのに、聞こえてくるのは、活動や維持のための資金が出なくなったから自前で何とかしなければならない、という己のことだけで、精魂尽き果てた母への慰労の言葉すら発しない。こんな組織がどうして親の愛だ四対象の愛だと口にすることができるだろうか。言った先から讒訴され身体も霊人体も腐っていく。甘えてかじり続ける方も方なら何の口出しもせず出し続ける方も問題ありすぎだ。教会はいつから摂理も愛もみ言葉も履き違えてしまったのだろうか。元二世信者に問題がある?当然問題もあるだろう。問題ある者を使って悪鬼は鉄槌を振り下ろすけれども、讒訴条件がなければ打たれる筋合いはない。

0 件のコメント: