2022年12月20日火曜日

今日の想い 1215

 霊肉堕落の決定的要因として、カインはアベルを支えることができないどころかアベルを殺害してしまった。殺戮とあるからカインもアベルも一個人の話ではないとは思っているが、とにかくその事件以来、復帰の摂理は一貫してカインとアベルの闘争歴史、裏を返せば闘争を超えての一体化の摂理として展開されてきた。闘争は闘争自体に目的があるのではなく、分裂にあるものを一方の旗色に染めて従えるのであり、力による一体化が闘争の目的だ。人が組して大小の集まりを形成するが、その形態を維持するためにはアベル的位置へカイン的位置が従うことによって維持される。教会も同じようにアボジから降ろされるアベル的位置に対してカイン的位置の食口が従うという形態がとられている。献金に関して言えば捧げる側と使う側に分かれるが、御生存中はアボジの指示と許可で使われ、捧げれば捧げた後の使い方に口を出さないのはその通りだった。しかし果たしてそれが良かったのかは疑問符がつき、ましてや御逝去されても同じように中心からくる献金要望に応え、使う側の責任を問わないのはどういうことだろう。使う側の責任が問われないのなら、逆に捧げる側の責任を問う必要がある。出せば帰ってこない限り何某かの使われ方をする訳だが、出さない限り何に使われるかの問題はないからだ。アボジはこういう問題が起こることも予知されていて、それ故の良心宣言でもあったと思われる。後天時代は益々個々の良心による采配が大きくなって、そうなるとカイン的位置にある者達の組織への従順度は、良心のフィルターを通すが故にどうしても低くなる。世界を席巻する企業体もそうだろうし、国家自体もその影響を受けることになる。そうなると世界は先ず瓦解する方向に向かわざるを得ない。アベルカインの闘争と一体化という世界観を超えた、後天時代の世界観とは一体どのようなものだろうか。今までの組織形態は崩れても、良心作用に適する新たな組織形態が構築されていくはずだが、経済の血流である通貨制度も含めて未だに見えてはこない。

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