暗い、とにかく暗い田舎に住むことが耐えられなかった。自分の内面にも押し寄せてきて凌駕しようとする、あの得体の知れない暗さの正体が怖かった。田舎を飛び出したかった。事実どこまでも逃げて逃げて地球の裏側にまで逃げ延びた。40年近く地球の裏側で生活してみてやっとわかる。恐れていた暗さの正体は私が作り出した妄想だった。それは死への妄想であり、また生きていくことの妄想であり、ありとあらゆる私の不安が作り上げる妄想雲に私は覆われていることがわかった。おそらく田舎にそのまま住んでいれば発狂しただろう。どこか日本に住み続けていたとしても何らかの心の闇を抱えただろう。しかしその体験が私をこの道に導いた。教会生活、献身路程の、あの魂を圧し潰しかねない歩みさえも乗り切ってこれた。そして祝福を戴いた。後に受けることができる、条件とも言えない簡単な条件で受けられる祝福、キャンディをばら撒くように受けられる祝福とは異なり、私が戴いた祝福は苦労した歩みを条件に戴いた生命にも勝る御父母様からの宝物だ。同じ祝福という言葉だとしてもその本質的内容は天地の差がある。今の日本の風当たりの強い環境で、さらに信仰を保っては来たものの生活の困窮には耐えられず、感情の矛先を教会に向けたり摂理を歩んできた自分を否定したり、果てはアボジやみ言葉すら否定するほどに自らを貶めるとなると、自分と自分の良心をどれほど悲しませるだろうか。羊なのか山羊なのかは今の今霊界が見据えているし、采配が行われている。
0 件のコメント:
コメントを投稿