2024年11月10日日曜日

今日の想い 1342

 旧約では割礼を受け、新約では洗礼を受け、そして成約では祝福を受ける。割礼を受けることで神との契約を結ぶわけだが、これは神の人間の肉体への働きかけだ。洗礼を受けることで神への信仰を立てるわけだが、これは神の人心、すなわち人間の魂への働きかけだ。そして祝福だが、これを受けることで神の息子娘となるわけで、これは神の人間の心霊への働きかけとなる。私達は神の霊を祝福を通して戴いているという、この内的誇りを常に保持することでクリスチャン達の内面とは異なっていることを理解する必要がある。というのは戴いた霊という実感は未だに霊的に鈍い私達にはない。だから祝福の真の意義もあやふやで実感としてないし、やもすれば御父母様に対しての不信や今までの歩みがさも無駄だったかのように憂う食口もいるが、しっかりと自分の良心に意識的に尋ねることが必要だし、自分の良心を通して教えられてこそ魂に実感として積み重ねられる。アボジが聖和されて私は途方にくれたけれども、み言葉という遺言書の最終結論の一つとして良心宣言が謳われたのは実にありがたいし、私達の道は羅針盤である良心に照らされるはずだし、良心を通して生きたアボジに向き合っている。良心に尋ねながらみ言葉を訓読し、良心に尋ねながら方向性を決め、良心に尋ねながら喜怒哀楽を味わい、そうすることで自分の良心は朧げな印象からより実感的な良神となっていき、自分自身が祝福により与えられた神の分霊の表れと変革する。これこそが過去の私に対する新自己、生まれ変わった真の私であり地上のアセンション(昇華)だ。

今日の想い 1341

 米国第47代大統領としてトランプが選ばれた。先の大統領選出の折に大量の偽装が疑われたが、おそらく今回もそれなりにあったとは思っている。しかしそれが問題にならない程の圧倒的票数を取ったトランプ側の大勝利だった。どこの誰の企みなのか、おそらくそうであろうと察せられる数回の暗殺の企てがあり、それをも乗り越えての勝利だが、狙われるのはこれからも続くだろうから油断はならない。DS側にすればトランプに政権が移行した時点で相当の犯罪が暴かれ裁かれるとなるとおとなしく引き下がるとは思えないからだ。ハリスの敗北宣言スピーチも実に素直に認めただけに何か裏があると思ったのは私だけだろうか。トランプは早速に憲法修正第一条である言論の自由とそこから導かれる知る権利が侵されているとして、DSが関わってきたSNSや言論へのセンサーシップ(検閲)すなわち言論規制を撤廃する発令を就任直後に出すと明言し、政府関連のあらゆる部署、NPO団体、教育機関、SNS関連会社等、全てを調査して犯罪に関わった者の懲罰、或いは偽装情報によって得た政府予算の打ち切り等々のクリーンアップを速攻手掛けると明言した。バイデン政権を筆頭にバイデン政権に関わって悪事を働いていた、或いは甘い汁を啜り続けてきた者達は戦々恐々の状況にある。人身売買とエプスタイン関連、大量移民流入と凶悪犯放任、ウクライナ戦争とハマスイスラエル戦闘、FRBとインフレ問題、その他バイデン政権によって起こされた問題は山積みだが、トランプなら一気呵成にやると期待も大きい。日本の政府もバイデン政権べったりだったし、メディアによる言論誘導も度を超えていたが、アメリカが変われば当然日本も変わらざるを得ないだろう。阿部元首相の暗殺からの解散命令の動きにも変化が見られるはずだ。トランプは阿部元首相暗殺が誰の手によるものかわかっているし、なにせ彼自身が同じ手の者による銃弾で亡き者にされそうだった。今後の経済、金融に関しては詳しく触れていないしどう出るか予想もつきかねるが、以前記したようにそう簡単に立て直せるとは思えない。とにかく1月20日、先ず就任式を無事に終えることが一里塚だろう。2025年は暗い未来しか見通せなかったが、ここに来て一条の光が差し込んできた。

2024年11月2日土曜日

今日の想い 1340

 地上界の全ては霊界という原因があっての結果世界だ。地上界の中で人間だけが結果世界に生きながら原因世界である霊界にも働きかけることができる。話は全く変わるが私達の資産とは何だろうか。だいたい資産と言えるものを持ち合わせているだろうか。世界には多くの資産を保有している富裕層が存在しているけれども、どうも一般食口とは無関係の世界に思えるだろう。一般に資産とは有形資産を言い、不動産、貴金属、債券、お金等を言う。有形資産があるなら無形資産があるのかというとあるのであり、実はこの無形資産こそが有形資産を生み出してくれる。無形資産とは健康であったり能力であったり、ビジネスモデル、顧客リスト、人脈等を言う。その中でも人脈が特に大切で人脈を通して他の無形資産を得ていくことができる。しかし教会関係の人脈だけだと、今までの摂理が献金に重きを置いていたためにどうしても有形資産を失う流れになってしまう。教会摂理が全てではないにも関わらず時間という限られた天の賦与をそこに皆注ぎ込むものだから、人脈や自己投資が疎かになって結局は有形資産の形成に失敗する。献身とはそういうものだと言われるけれども、本来環故郷以降献身制度はなくなっているのであり、全てを捧げたから何の資産もないというのは言い訳に過ぎない。錦は飾れなくとも故郷に帰って、それなりの人脈を築きそれなりのビジネスで生計を立てている食口はそれなりにいるけれども、富裕層に至る者が多くいるとは思えない。それはどうしてかというと、ずばり霊界という原因世界を正しく認識していないからだと私自身は言いたい。霊界という言葉を知っているだけで正しく認識していないから万物主管も愛とも言えない等閑な主管であるし、無形資産の大切さやそれを育んでいく信念や哲学も霊界から取り出していない。だいたい資産を増やす意欲もないしそれを善とも思っていない。思考も感情も原理を受け入れた時点で停止したままの食口が何と多いことか。祝福家庭をアベル圏とするなら、カイン圏の人々の方が霊界を知らなくとも無形資産を増やすためにより霊界との関係を知らないうちに深めている。私達は謙虚になってこの世から学び受け入れるべき事柄がたくさんある。その姿勢を持つことで信仰を失うこともないしこの世に染まることでもない。意外と祝福家庭自信が知らない祝福の意義や素晴らしさを、彼等を通して教わることも多々あるはずだ。

今日の想い 1339

 独生女信仰を受け入れられるかどうか、それ以前に論理的には破綻しているだろう。一世、特に原理という論理から入った食口であればそう思って当然であってそうなると今の教会には距離を置いてしまうはずだ。しかし論理を動機とする思考が人間を誘導する時代はすでに過去となっている。今の時代は意志を備える時代であり、個の魂活動で言えば思考と感情とが一つとなって人間としての意志を発動する。地上活動で言えば思考を中心とした科学と感情を中心とした宗教、これが一つとなって芸術や文化を生む。原理という論理にだけ比重を置いても摂理は進まないし、感情を特定のベクトルに向かわせた信仰感情にだけ比重を置いてもこれもまた摂理は進まない。意志を備える時代でどう意志を生むかが問われているのであり、地上に於いてどう芸術創造をするかが問われている。現代はキリスト教文化として花開いた芸術や文化様相が基盤になっているけれども、これからは心情相続した者達が中心となって、心情文化として花開く芸術や文化様相になっていく。いやアボジがメシヤであって御父母様が真の父母として勝利されたのであればそうなるべきだ。独生女論独生女信仰がおかしいと言い張る者も集まりも、それをどう超えてどう摂理を中心的に進めるかの想いも意志も感じられないし、今の教会の集会や修練会に参加しても、今もって旧態依然の方法でアベル的希望的証しを壇上から説法し、食口の信仰を更に硬直化させるよう仕向けているだけだ。話す方も話す方なら聞いて受け入れる方も受け入れる方だ。そんな授受作用によって摂理をどう進めてきたのか、私がおよそ50年歩み続け見続けてきてどれほどの基盤と言えるものを築き上げてきたのか。従来の信仰教育は先天では功を奏しても、個々人にまでありとあらゆる善神悪神の業としての荒波が押し寄せている今となっては乗り切る木切れにも筏にもならない。修練会でみ言葉面(ヅラ)をした霧散する言葉であったり、信仰面をした薬にもならない証しだったり、今はそんなものに関わっている暇もないほど摂理としては轟音渦巻く激流の最中にいる。その実感のない教会も食口も、もちろん反対派と旗を立てる集まりも、彼等はいつから信じる神を挿げ替えたのかと思うほど摂理に無頓着で実に神の願いからズレたところで歩んでいる。そうなると頼みは祝福を受け心情相続した自分であり、自分の中に用意された良心であるのに、未だに中心柱が定まっていない。