シンシティ(罪の街)をサンシティ(太陽の街)にされたアボジは、最低階級を最高階級にという低い位置から次第に高みへと段階を踏むのではなく、最低を極めれば最高に瞬時に通ずるという新しい概念を地上にもたらした。絶対性は最も忌み嫌われる生殖器を最も尊く聖なる生殖器に創造されたのであり、刑務所を楽園に変えられ、愛する息子を亡くした悲痛の日を愛を賛美して歓喜する真の愛の日に変えられ、大量殺戮したサタン的人物を祝福され、そして地上地獄を地上天国に変えられた。私達がアボジに倣うなら日本人的でもある生温い喜怒哀楽を、自分も相手も驚くくらいの印象を与える喜怒哀楽を魂に刻むことで、憂いや安らぎ、嬉しさや苦しさの本質を学ぶ。しっかりと怒ってこそ内的な安らぎの意味を知ることができる。地上的な感情である喜怒哀楽から逆説的で、或る意味霊的な感情としての憂い安らぎ嬉しさ苦しさを学ぶ。言葉の選び方が正しいかどうかはわからないが、言いたいところの意を是非汲んで欲しい。イエス様は神殿で商売をしている商人に対して怒り狂った。アボジの近くで歩んできた者ならわかるようにアボジの怒号は毎日のことのようだった。私もアボジの怒号を浴びたが次の日には満面の笑みで接して頂いた。普通日本人なら夕に朝に態度が変わるようなことはないし、先ず感情を表に出さないだろう。怒りでもない安らぎでもないその中ほどで中途半端に振動していて大きく振れることは先ずない。そうなると地上生の経験は薄く霊界へ刻み込めるものとはならない。少し話がぶれてしまったが、私も含めての提言として堕落だ非原理だと顔を背けるのではなく、堕落の底で純潔の意味を知り非原理にどっぷり浸かることで見える原理の偉大さがある。もし罪が罪のままであって、罪が太陽に変る天の采配を見るのでなければ永遠に地上地獄は終わらない。
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