2025年2月1日土曜日

今日の想い 1355

フジテレビの問題が取り沙汰されている。発端は性の問題で、そこから会社の存続如何の問題にまで発展している。善きにしろ悪しきにしろ性が破壊と創造をもたらすものだという証しになっている。フジテレビだけに終わらない全メディアへ波及するであろう摂理に反する既存メディアの破壊であり、摂理に適う新しいメディアの創造だ。創造は未だ形に現れないけれどもその内的立ち上げは着々と進められている。勿論教会を打ったのも遠因の一つではあるが、それは摂理に反するというより恨みからくる遠因であって、だからこれで棄損された教会の名誉が取り戻されるという話ではない。日本では女性の権利が未だに蔑ろにされていると思われていて、それ故に弱い女性だという日本社会の思い込みが今回の問題も複雑にしている。本来日本の女性は男性に従属してきたのではなく、より縦的である男性を立ててきた。思うにそういう男性を立てる女性こそ女性本来の立場であって、それを男性より低い位置で男性に対して卑下していると思うのはそれこそ女性の人権を蔑ろにしている。男性女性の違いを認めるのとそれを差別だと認識してしまうのを混同するのは精神的未熟以外の何物でもない。日本に性的問題があるのは男性だけの問題ではなく女性が無分別に簡単に襟を開いてしまうからだ。きっぱりと断れば済むものを断れば仕事がなくなるなどとほざくのは女性差別という社会認識があることを手玉に取った言い訳にすぎない。わざわざ弱い立場に自分を降ろして同情を買おうとしている。性を安売りしてでも失いたくない仕事だと思っている時点で救いようがない。肉欲を制することができない男性も勿論だらしないが、媚びを売るはめになり遊ばれてしまった自分への後悔が相手への恨みになるのも鬼畜の所業だ。

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