2025年9月5日金曜日

今日の想い 1411

 島国日本の独特な村社会で生きていくということは、全体の空気、周囲の空気を読みながら、あるべき姿勢、あるべき振舞いを学んで出る杭にならないように合わせていくことが要求される。しかし教会は日本社会から見れば出る杭どころか突拍子もない団体で、空気を歪める異質な空間として弾き出されるのは時間の問題だった。ゴリゴリの左翼ばかりではない右翼や保守からも疎まれているのを見ると機会あれば抑え込みたいと思われていたはずだ。たまたまなのか画策されてなのか、元首相暗殺事件の当人が教会問題に絡めての犯行だと自白するものだからこの機会を逃すまじということになる。教会がどれ程嫌われているかを認識していた一世にすれば、教会の名前がメディアに踊っただけで鉄槌が振り下ろされることは自明だった。信仰信条の自由を掲げたとてこの日本社会ではほぼ無力で意味を為さないこともわかっていたはずだ。犯行を犯した当人が教会に恨みを抱き、しかしその矛先を関係のない元首相に向かわせたのは、日本社会全体を巻き込みより破壊の影響を大きくしたい、そして己が恨みを注目されたいという悪鬼に憑かれた身勝手がある。彼は日本の、空気を読むことを要求される村社会に辟易していたはずだ。あるときから恨みは言い訳に過ぎず何らかの形でただ教会を壊し日本社会をぶっ壊したかった。そして表面上はひどい犯行だと言いながら本音ではほくそ笑んでる重い空気感に抑え付けられた大勢の民がいるはずだ。そして教会からの締め付け空気感に息絶え絶えだった多くの食口の安堵感も伝わってくる。しかし束の間の安堵感の後には虚無感に襲われることになる。人生をかけて信仰の道を歩み天に宝を積んできたつもりが心の奥底を探しても何ら見当たらない。しかしこの虚無感こそが初めて神霊が私に訪ねて下さる機会になる。息を吐き切れば新たな空気としての神霊が吹き込まれる。神霊が訪ねて下されば良心の声を聞くことができる。それが成約のペンテコステだ。

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