2025年9月23日火曜日

今日の想い 1416

 私は己が位置を持ち上げる為だけのこの世に対する非原理圏だ堕落圏だというのが嫌いだ。同じように責任を果たしたつもりになる条件なるものも嫌いだ。特に条件祈祷は大嫌いだ。私達は事ある毎に悔い改めの条件祈祷、一体化の為の条件祈祷、献金や伝道数の為の条件祈祷、常にそんな条件祈祷に明け暮れてきた。果たしてそれらが信仰基台になり得ただろうか。昨晩ついに御母様が収監されてしまった。、、で、私達は何をするのだろうか。相も変わらず悔い改めと一体化の為の条件祈祷に明け暮れるのだろうか。頭を垂れて上目遣いに時計を見ながら、心無い言葉を連呼し如何にも的な涙まで流しながら、時間がきたらその祈祷時間が嘘のようにケロッとした表情で会話を交わし飯を食う、あの条件祈祷だ。意味を為さないどころか返ってサタンの思うつぼに嵌まり込んでいる。それで悔い改めたつもりになり一体化したつもりになってしまっている。先天時代の訓練場としての教会ならそれで良しとされるのかも知れないが、今は雛から成鳥になり飛び立つ実践の場だ。訓練の場で培った内的霊的備えでもって、責任を自らに問われる実社会で結果を差し出し頭角を現す必要がある。アボジが肩代わりされたダンベリーの経験で私達は痛いほど容赦ない現実を思い知らされたはずが、愚かにも相も変わらず揚げ足を取られる材料満載のまま同じ失敗の道を進んでいる。教会食口の稚拙さここに極まれりだ。今回その付けを私達が担うのではなく事もあろうに同じ失敗で御母様を差し出してしまった。本当に悔い改めるというなら切腹ものであり、本当に一体化というなら裸の御母様に先ず進言すべきだ。いや、進言すべきだった。

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