この地上生に生きるとは人との関係を持つこと、そして時間空間を含めた万物との関係を持つこと、そして自分の肉体と魂と自我に関係を持つことの三つだろう。おそらく信仰を持つ者の観点では神様との関係性が大切なのにどうして触れないのかと思うかも知れないが、神様との関係性は地上生の次元を超えた関係性なので同等に並べるのは無理があるからだ。人との関係性からの子女繁殖、万物との関係性からの万物主管、そして自分との関係性からの個性完成という三大祝福がある。祝福とあるけれどもどれも自動的に降ってくるものではなく意志して掴み取るものだ。日本の食口は或る時から経済摂理が中心で、いかに集めて献金するかを問われてきた。万物が何か、お金が何かを問うこともなくひたすら集めて流すことに追われてきた。子女繁殖である伝道がみ言葉を伝えるという表面的なことではなく、どれほど対象者を愛するかであるように、万物復帰もものとして扱う表面的なことではなく、どれほど万物を愛するかが万物主管に関わってくる。それはものを大切にするに留まらず、如何に集めるかに留まらず、万物の本質をどれほど尋ね理解したかが愛することの第一歩であって、万物が存在する霊的意味を尋ね万物を万物たらしめる原因世界、すなわち霊界を訪ね心情世界である霊界でどう心情的役割を果たしているのかまで尋ねなければ愛による主管とはならない。周囲にあるものは自分のものだと主張しても、その万物の心情的な言葉を発するのを聞くのでなければ主管しているとは言えない。あらゆる万物はそれぞれの種としての中心的存在として霊界で活動しそこに繋がっている。それは種族の王であると共に種族の親でもある。親を訪ねて事情を尋ねるのが万物を愛する近道だ。表があって裏があるのを知るが、裏こそが表の本質であり、形状に対する性相は形状の本質だと教えられたように、原因世界である霊界、心情世界である霊界を常に関心を持ち意識することで地上のからくりも見えてくる。
0 件のコメント:
コメントを投稿