2025年9月6日土曜日

今日の想い 1412

H1が第四アダムだと、当然のように摂理観として述べているが、アボジの語られたみ言葉のどこにもそれはない。自分はそう信じていると言い張るのは構わないが恰もアボジが断言されたかのように述べるのはいいことだとは思わない。あるブログでH1に従う二世の講義というか説明動画を目にした。一通り視聴したがH1が第四アダムありきで語っているのでどうも入ってこない。真の家庭の価値とその真の家庭を祝福家庭が守らなければならないのは理解できても、ではどうして御母様についても、そして他の御子女様についても語ろうとしないのか、H1オンリーなのかがわからない。誰につくにしろ自分は私の内側ではなく外側の誰かに自分の求める方向性を見出そうとしている。誰かに自分の生きる羅針盤を求める限り、いつまでも独り立ちはできない。アボジに我が行く道を示して戴いていたがもはやおられないので、アボジに代わる誰かが当然必要だ、という先天的凝り固まった認識から御母様に従い、またH1H2に従っている。アボジが良心宣言された意味を捉えられないうちは良心に代わる教会が必要で、その意味で導き手の御母様も、H1H2も必要なのは理解できるが、この道こそが正道だと壇上から権威あるが如く語る、かつての教会の修練会ばりの同じ顔つきで語られるのを見ると溜息が出てしまう。旧来のあの修練会的威圧感で食口が付いてくると思っているのだろうか。それぞれ良心のある存在であることを認めて並列に双方向で語りながら高みを目指すべきではないのだろうか。それが縦社会の教会をやめて横社会で繋がる家庭連合になった意味だと私は思う。

0 件のコメント: