2026年3月26日木曜日

今日の想い 1461

 一世は野宿してでも飲まず食わずでも、そして少々の嘘はったりを嚙ましてでもみ旨に生きる野太さが取り柄といえば取り柄だったはずが、二世への世代交代によって教会食口の在り様はよく言えば灰汁がなくなった、悪く言えば純粋培養で優しい人達だけの集まりになったということだろうか。純粋な教会二世達を見ていると、心優しいその性品を失って欲しくないと思うと同時に、そんなに心優しくてこの藪だらけ、敵だらけの騙し騙されの世間をどうやって生きていくのだろうかと心配になる。彼等は天国では生活できてもこの地獄の地上世界では生きていけない。二世も人それぞれだろうけれども、少なくとも教会に繋がっている二世達がこの状況で変わらないとすればこの世に生を受けるにまだ早すぎたことになる。そうなると彼等を内的霊的に育んだ、純粋な彼等が神様とイメージする神霊は、この解散命令を受けて尚、霊的中心足りうる神霊なのかどうかを自らの良心に問うべきだ。ハナ二ムであって一なる神様を否定するのかと怒鳴られそうだが、はなから誰一人として何らの差異もない全く共通の神様のイメージを持ち合わせている訳ではない。私のイメージする神様とあなたのイメージする神様が異なるのは、同じ原理を学び同じ真の父母に侍る食口であったとしても異なっていて当然だ。二世にとってはこの解散命令で内的霊的羅針盤である良心(良神)に、信仰とは何か、教会とは何か、等々今まで当然のこととしていた観を先ず尋ねて欲しい。そしてその羅針盤で新しい霊的大地に向かい希望を持って、強く雄々しく船出して欲しい。17世紀、英国の宗教弾圧を逃れて新天地に船出した清教徒達のように、、。具体的に日本を離れろと言っている訳ではない。以前記したようにもちろんそれもひとつではあるが、自らの観、それは人生観から始まり信仰観や神観すべての観を立て直すところから始まる。

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