普通であれば気にもしないことを、実に些細なことで私は苛立ち、怒りが尾を引いていつまでも内面で消化することができないでいる。すでに記したように私の誇りは今失せている。私の中にあるはずの霊的支柱が影を潜めているということだろう。誇りが失せているものだから、誰からも否定されているという思い込みで自らを卑下してしまい、些細なことなのに全否定されたかのように他の視線を受け取り、魂の弱さに更に塩を刷り込んでいる。天の使命を受けて私を中心とする摂理に集中できるなら誇りは自ずと立つはずだ。今までそうやって信仰を立てて生きてきた。天を求める手で掴んで離さず、私の中で天の願いが確かなものとなればそうなる。しかし摂理を牽引する羊飼いであったつもりが立場が逆転し羊になってしまった。それも群れに馴染まない孤独な羊だ。ロンリーウルフなら強さゆえに生き延びることはできるだろう。しかし何らこの世に合わせることができないロンリーシープだ。そんな食口で集まり、肩を寄せ合い傷を舐めながら暮らすしかないのだろうか。世界の全ての社会システムが崩壊しようとするこの時、そんな中でこそ誰よりも強く生きて、その真の愛の光にひとりふたりと自然におびき寄せられ、祝福の証が立つ。そうなるはずだった。そう信じて疑わなかった。でも、甘かった。教会どころか、自分自身がお花畑だった。自らの稚拙さを思い知る。アメリカに40年近くいた。アメリカ生活に慣れすぎてしまい、日本の生活は気を使いすぎて疲れる。歩いて人とすれ違うにも、運転するにも、買い物だって疲れる。日本の空気は、うつ症状を起こすほど気を遣う。たまに帰国する分には楽しかった。しかし日本の風土に埋もれて暮らすとなると、ぐったりするほど疲れる。日本で暮らすということは、未だ晴れていない日本の蕩減を背負うということだ。