2008年3月23日日曜日
見えない価値を視る
み言を受け入れた一人の人間として生きることの意味を問うように、組織としての在り方の意味を問い理解することがそれを継続させること以上に大切なことだというのは誰にも解ると思う。生きるために食べるのであって食べるために生きるのではないように、願いを達成するために組織の運営が大切なのであり組織を維持することが第一義であってはならない。要するに我々が息を繋ぐ為の組織ではないということ。神様と父母様の願いを受けたみ旨としての組織なのか或いは儲けを出し生計を立てるための唯のビジネスとしての組織なのか、前者の歩みは聖業としてミッションとしての位置を与えられた立場であるのに対し後者は例えそこから献金を出したとしても或いはそこで働く従業員が教会活動に熱心であるとしてもその組織での歩みは唯のビジネスで摂理や神様との直接的関係性はない。人間として同じ肉体を持っているとしてもその内なる在り方で天地の差が出るように、組織として同じような業務をしているとしてもその組織の在り方、どういう夢や願いが根底にあって組織としての体をなしているのかでそれぞれに天地の差が出てくるはずである。肉体的なものが主体であるのか霊的なものが主体であるのかと聞かれれば誰しも後者と答える。しかし組織の在り方に於いては外的なものよりはその内的霊的なものに主体を置いて事に当たるべきだという認識に欠如している。ビジネス思考、ビジネス的という言葉には内的霊的な思考を軽んじる、外的に割り切って当然という思い込みが内包される。適当な言葉が見出せないがみ旨なのかビジネスなのかはその組織の方向性を180度異にする。勿論み旨を主体としてもビジネス的な采配は必要ではあるが軸足がどちらかによって大きく変わってくるということだ。例えば売り上げをあげることや利益を上げることに関してビジネス的に捉えるとそれは至極当然として方法論からの思考となるが、み旨的に捉えると組織に対する天の願いから鑑みて売り上げや利益を上げることの意味を先ず問うことになる。そしてその意味に合う形での売り上げや利益を上げる方法を見出そうとする。闇雲に売り上げ至上主義に走ったり或いは逆に世間通例の業態利益率に満足するということにはならない。み旨を組織のミッションと捉えることはみ言を土台とすることであり、ビジネス的ミッションを組織の根本に置けばこの世的言葉、この世的価値観を土台とすることである。今私が責任者として任されている店は父母様の願いを動機とし父母様の心霊で築かれた店であると確信している。もしこの店と引き換えに利益や売り上げが10倍以上あるレストランチェーンを得ることが出来ると言われても自分は応じない。数字では表せない霊的価値を私は認めている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿