2008年11月5日水曜日

自我の住まう処

思考に於ける悟性が極度に発達した現代に、あらゆる理解に論理的な説明を求める。しかしそうして得た理解が感情を動かし意志を動かすかと言うとそう単純ではない。自分の中にこみ上げるものとか、自分を行動にかき立てるものは論理的に説明された理解の中にはない。ある人間真理が理路整然と説明されて理解を得たとしても、自分の行動様式に不都合があれば何らかの理屈を付けて受け入れない。人間の悟性の働きは損得感情と大きく関わっている。論理的に説明できるもの以外の別のものが自分を動かしているのにも関わらず、それを見ようとしない。理解すると言う作業が自分に益する知性や経験によるものとだけ信じるところに食い違いが生ずる。正しい思考を働かそうと思えば、損得を超えた高みを志向するものを自分の中に見出すことが大切だ。本来人間として生まれ出でた以上、誰もがこの志向を与えられている。それは良心の働きにある。自分の中の良心をしっかり捉えて初めて、悟性が正しく用いられる。皮一枚隔てた内側を自分と認識し、外界から自分に取って益となるもの良さそうなものを取り入れる。しかし本当は、皮一枚隔てた内側は自分ではない。本当の自分は皮を突き破り外界の中に存在する。人間は事物の中で生きている。皮膚を隔てた内側は、事物の中に生きている自分を反映するもの映し出すものであり、人生や日常に於ける体験内容は身体によって生み出されるものではなく、霊肉の身体は霊的な体験を映し出しているに過ぎない。飛び込む風景の中に浸透して生きているのであり人との関わりの中に生ずるものの中に溶け込んで生きている。良心は自分だけという意味での損得に関わっていない。把握する外界の益に関わっている。家庭の益であり社会の益であり世界の益、更に宇宙の益に関わっている。外界の益、宇宙の益に関わることこそ神様の身体としての全宇宙を喜びに満たす事であり、それは本来良心をもって神様と一心一体であり宇宙と一心一体である自分をも喜びに満たす事である。

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