2008年11月6日木曜日

狂宴の後

実体経済でものとサービスを売り買いしていた処に、金融商品が売り買いされる金融経済が、悪霊界が降りてきて地上界を覆うように浸透していった。コンピューターの発達と共に、金融工学の予知計算リスク計算が商品の信用度を増し加え、現代の打ち出の小槌を振り続けた。その数字は天文学的数字で、もはや人知の域を超えている。ものやサービスに対する価値創造が限定的であるのに対して、金融商品の価値創造は無限大に広がっていった。いや広がっていくように錯覚した。その錯覚は売れなくなるまで続いた。麻薬によって人は幻覚に踊ることに狂喜し身体を麻痺させるように、金融商品は欲を満たすことに狂喜し数字に対する感覚を麻痺させた。実体経済の重要な部分である血液製造を投げ出してレバレッジと言う何倍にも薄められた裏付けの無い血液を遣り取りする。どれほど数字は膨れても、そこには凝縮されたものは見出せない。赤く染まってはいるが血液の働きを負わせれば幾らでも流れて失う。あぶく銭と言うがあぶく銭よりたちが悪い。一気に信用は収縮し実体経済を振り回している。悪霊界が偽りの信用創造で金の子牛を祭り上げ、社会を踊り狂わせた狂宴は一瞬にして醒め、我に帰った人間社会は茫然自失の状態に今ある。金融に手を出さなかった者でも実体経済との線引きがはっきりとされている訳ではないので、それなりにあぶく銭は流れてきた。多かれ少なかれ皆が狂宴に浮かれた。浮かれた体を引き締め、先ず足をしっかりと地に下ろす決意が必要だ。そうして目をしっかりと見開き本物を探す旅に出発するものはそれを見出すだろう。既に新しい時代を予見させる本物が芽吹いている。バブルが完全に弾け飛んで、本物しか生き残れない時代圏に名実共に突入した。本物の価値創造、本物の信用創造を持ってしてレバレッジを働かせ、爆発的な成長を遂げる本物の組織、本物の社会、本物の地球村が出現する。

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