2008年11月11日火曜日

今日の想い 23

堕落人間は神とサタンの中間位置にあり、神が働く存在であると同時にサタンも働く。神から受け継いだ本性を保持していると同時にサタンから来た堕落性本性も保持している。しかし個々の人間によってその割合は様々であり、より本性的人間もいればより堕落性が強い人間もいる。より天に近い人間と地獄に埋もれきっている人間もいると言う事だ。自分の中にある本性と堕落性をしっかりと捉えられる者とならなければならない。自分の内的在り様がより本性的方向性を目指しているのか引きずられる儘に堕落性の中に埋没しているのかをありありと捉える事ができなければならない。そのように内的在り様を立体的に把握できればその認識は霊界の在り様とマッチしていく。自分の本性が霊界の明るい高みに向かうものであることを認識でき堕落性は暗い地獄を目指すものであることを認識できる。中間位置と言う言葉を唯論理的に解釈しようとすれば並列的発想しか生まれてこないが、本性と堕落性を相反する人間の性相とだけ捉えるのでなく、内的霊的に捉えることで本性的在り様と堕落性的在り様を立体的に捉える事ができると同時に、それに伴う感情であるとか景色であるとか旋律であるとか香りや臭いであるとかの感覚をも感じることができる。その感覚をより鮮明にすることがいわゆる霊視霊聴と言った霊的五感を開いていくことになる。真の父母様に帰依するものは霊的光を与えられている。漆黒の中に埋もれていた自分の内的在り様に真の父母様からくる真の愛の光が差し込み、自分の内的在り様が照らし出される。それによって自分の在り様が直ぐに様変わりする訳ではないが自分の位置をマッピングでき本性的在り様に向かおうとする真の愛の光のさす方向に向かおうとする自分を認識する。五感からくる世界にのみ生きていた自分が、実はそれと同時に内的霊的世界に生きていることを認識し、実はその世界こそ本質でありより実体的であり、自分を取り巻いていた感覚世界は本質的世界に対して対照的陰の世界であることが認識できる。その目が開かれると人生の在り様そのものが様変わりする。

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