2008年11月13日木曜日

今日の想い 24

この小さい魂の存在理由があるはずだと、鶏が頭を突き出すようにいろんな事柄に頭を突っ込んで見ようとする。み言葉を自分の神経の在り様となすべく、長い年月が通り過ぎた。自分の在り様に人に認められるものなど無いだろう。兄弟の間のことにしろ対社会のことにしろ、自分という存在が必要とされる場面が過去にあっただろうか。そしてこれからそういう場面に遭遇するだろうか。たまにミーティングなどに参加すると自分の不甲斐なさに愕然とする。自分より若い実力もあり優秀な人々に囲まれると居た堪れなくなる。消え入りそうな魂が、その所在の置き場を探しあぐねている。これからのみ旨を背負っていく彼らと比べようも無いが、正直寂しい感じは否めない。しかしその感情を敢えて心地よく感じるべきだろう。御父母様が喜ばれることこそが何よりの我々の喜びだ。その認識に至れば寂しい感情を嬉しく思わないといけない。私の上司は一回り若い。実力も知恵も兼ね備え、更に性格もよく、正に非の打ち所が無いと言っても言い。優しい口ぶりで、権威意識のこれっぽっちも見せず、相手の私を立てようとする計らいを持たせた言葉がすらすら出る。責められるべき何物も無いとなると、ある意味卑怯だろう。今まで全ての上司に、欠点が見て取れた。責めるところがあればこそ、責める思いをヤル気に変化させてきた。ふんだんにある欠陥を餌にして、自分自身に虚栄心を持たせることができた。しかしそれを見出せないとなると、どうヤル気をだしどう自分の存在価値を認めればいいのだろう。より内に向き、自分の存在理由を問い始める以外ない。責め所満載の上司に対してぶつぶつも言い、だから困るんだと横柄な態度も取っていた。それ故に活き活きしていた自分であったことも否定できない。この小さい魂の存在理由は何だろう。実力も無ければ知恵も無い。執着している想いの一つ一つを、たとえ肉が削げようとも無理やりにでも引き剥がす。その事でしか神様の関心を自分に向ける方法は無いのだろうか。人それぞれに存在理由はあるはずだと解っていても、自分のそれが見当たらない。

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