2015年4月16日木曜日

今日の想い 844

食口であれば、イエス様が地の御方ではなく天から召された御方であることは疑わないだろう。しかしその肉体は地上の要素であって、肉体に関する限りは他の人間と変わりない。クリスチャンは聖霊によって身籠られたと、すなわちマリヤは処女のままで懐妊されたと信じているので、その理解は生理学的血統に於いて地上人間とは異なっている。しかし私達統一食口は、イエス様はマリヤとザカリヤとの間に生まれた御方だという御父様の言葉からして、肉体的には地上人間と同じ、すなわち堕落人間と同じ血統圏からと言うことになる。この事実を踏まえれば、御父様がいわれる天の血統とは生理学的な血統を言うのではなく、霊的な観点からの血統であることがわかる。地上の生理学的見地から見れば同じ血統であっても、霊的見地から見れば堕落の血統とは異なる天の血統だ。それは愛の感性、霊的感性が開かれなければ認識できない内容であって、食口であっても誤解している者は多く、霊と心魂を混同しているように生理学的血統と御父様が言われる堕落の血統、天の血統とを混同している。御父様であっても、御母様であっても、イエス様がそうであるように処女である母から生まれた訳でもないし、生理学的種の保存を否定して肉親を持たずに奇跡的に地上の人間存在になられた訳でもない。霊的血統は地上の生理学的血統を通して表現されるとしても、生理学的血統そのものによって霊的血統圏を価値付ける立場に地上は無い。もしそうなるなら主客転倒であって、地の主管主が天を主管する、堕落によってサタンがこの世の神となって神様をいいように振り回したと同じことになる。祝福の血統圏にある者が不倫をもって堕落したと表現できるとしても、それで天の血統圏から外されるかどうかは祝福を与えて下さった御父母様と自分との関係、もちろんそこに深い悔い改めもあり多大な蕩減も背負う訳だけれども、その縦的関係性を正すことで不倫という間違った横的関係を清算することはできるはずだ。しかしそれは何代にも亘る清算期間が必要かもしれない。縦的血統と横的血統が90度の角度で交わりスパークし、神様の血統が真の父母の血統として地上に出現したことは天宙的一大事件であり、祝福家庭がその血統圏に抱合されているという恩恵は恐ろしい程の、と表現してもいい恩恵だ。だから不倫等の堕落的行動には恐ろしいほどの清算内容が必要になる。罪の根を断ち切ることができなかった人類と人類歴史に、罪の根を断ち切った存在が創出された。真の父母様であり真の父母から生まれた祝福家庭の存在だ。私の中に天の血統が息衝いているのをどれ程実感しているだろうか。それを感じないというなら、天の血統圏にありながらも壊疽した細胞と同じだ。み言葉の流れを止めてしまえば信仰生命も弱くなり、生理学的血統という地上の現実に固執しかねない。それは真の父母の名を口にし、み言葉の本質を捨ててしまって鞘だけを振り回す新種の唯物論者だ。血流が促されてこそ生命が躍動するように、生きたみ言葉を訓読し、生きたみ言葉を堰き止めずに川の流れのように人々の心魂に流していく。そうして真の愛を実感していれば私が天の血統圏にあることは疑う余地もない。

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