2015年4月19日日曜日

今日の想い 846(神様がアルファでありオメガであるに込められた想い、意志)

「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである。」 黙示録の終盤に記された言葉の如く、神様は原因の神様であり、そして結果の神様だ。それは原因、すなわち性相の神様であり、結果、すなわち形状の神様だ。さらに御父様は私達の混乱を承知で、夜の神様、昼の神様の話もされた。性相の神様、形状の神様までであるなら性形を合わせもった神様という意味で一なる神様であることを否定していない。しかし夜の神様、昼の神様と言われ、夜の神様は失敗しなかったが昼の神様が失敗してしまった、とまで言われるのであれば、一なる神様の概念は越えていて私達の通常の論理思考では測れない。しかし私達人間の矛盾性、すなわち心と体が闘っていると認識できる者は、私という一なる人間の一段階原因を遡れば、心という私の存在と体という私の存在という二つが時間軸を越えて存在しているのがわかる。性相の神様の表示体としてアベルが立ち、形状の神様の表示体としてカインが立った。カインがアベルを殺すことで堕落が決定的なものとなったと言われたのであれば、カインアベルが一体となっていれば(何を指して一体かはここでは問わない)堕落はなかったと言える状況を展開できたかも知れないということだろう。原理に記してあるように、アベルが善の表示体、カインが悪の表示体と敢えて書かずに、性相の神様、形状の神様の表示体としたのは、アベルを殺害した堕落の結果からカインは悪の表示体となったのであり、殺さずに一体となっていれば形状の神様の表示体になったはずだという推論からだが、殺されたアベルの使命を受け継いだセツの側から祭祀集団が現れたのであり、カインの側から石工集団である技術集団が現れている。カイン自身の中でアベルに対する相反する思いに抗う思いはあったはずで、その戦いもあったはずで、アベル殺害動機のみにカインが占拠されていた訳ではないだろう。悪の表示体ではあっても、悪そのものではない。しかし結果としてアベルを殺害してしまった。神様が原因の神様であり結果の神様であるなら、堕落の結果の神様、殺害であり破壊という結果の神様ということになる。しかし神様はその事実を結果としてはおられなかった。それは復帰の神様、救いの神様という犠牲を復帰歴史を通して払いながら、結果が堕落ではない真の愛の結果を結ぶことで結果の神様となるという、神様の決意と覚悟、復帰への執念を宣言されたのが始めに記した「私はアルファでありオメガである」という黙示録の言葉だ。どんな罪深い罪人も、地獄に呻吟する何億という夥しい霊達も、必ず救われるのであり必ず天国に住まう光輝く霊人体に昇華する。それはアルファでありオメガであると宣言された、すなわち完全なる救いをもたらす真の愛の神様であることを宣言されたことから明白だ。心と体がどれほど戦うとしても、カインである体がアベルである心の息の根を止めて、この世の欲を満たすべく誘惑を語る口の乾かないこの世の君に仕えるとしても、思いもよらない機会を善神が捉えて、思いもよらない方法でアベルが立てられカインが復帰される。神様は実に奥妙な働きをされると、ある御子女が語られたが、誰もがそれを実感する機会に出会うだろう。心と体が一体になるよう約束されているように、神人一体理想も未来に約束されている。

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