2015年10月15日木曜日

今日の想い 887(裸の女憲法)

非核三原則は国民を守るという観点から出されたものではなく、核や原爆という言葉を口にするのも聞くのも嫌だという日本国民のトラウマ感情を逆なでしないための建前の原則に過ぎない。非核といいながら実のところアメリカの核の傘に守られてきたという部分には触れようとしない狡さがある。日本人の思考がいつから停止したのかわからないが、平和憲法で日本の平和は護られているという感覚が、どう教え込まれれて感覚として染込んだのかわからないが、いみじくも平和憲法を掲げてきた時期と、戦争に巻き込まれなかった時期とが同じであるので、平和憲法故に日本の平和は護られてきたと信じて疑わない。水が只だという感覚と同じように、平和は只だという感覚もある。しかし平和は只どころか金を積み上げても解決できない、それこそ生命を積み上げる覚悟と引き換えに受け取れるのが平和だと言えよう。だいたい今の憲法を平和憲法と当然のように言ってしまうこと自体おかしい。これは平和憲法ではなく、実体のない平和の衣をまとった裸の王様ならぬ裸のエバ憲法だ。平和憲法平和憲法と一つ覚えのように喋り続ける口を塞いで、裸の女憲法と命名して流布すべきだ。「どこからでも誰でも私の貞操を奪ってください」とわざわざ対外に発信する憲法だ。母の国日本ではなかったのか。妻の立場も母の立場も捨てて、貞操観念の無い女であり続けるならいつかは侵されて当然だろう。そんな事態にならないと己の無知に気付くことはないのだろうか。韓国は日本をサタン呼ばわりしてきた。韓国に言わせると植民地化や略奪や慰安婦などといった事柄を挙げているが、それに対して謝り続け保障し続けることが解決策ではなく、当の韓国も気付いてはいないが、夫として立てる妻の役目を日本が果たし、父として立てる母の役目を日本が果たすことが重要であることが摂理的観点から見通せば見えてくる。妻の役目を果たせば妻の権威を立てることができる。母の役目を果たせば母の権威を立てることができる。役目を果たそうという認識どころか、夫に対する妻として立つべきを認めず夫を邪魔扱いする無貞操な八方美人の姿勢が日韓の問題の根元にある。ある意味、日本食口はひたすら韓国の教会本部への献金を通してその穴埋めをし続けてきたと言えるだろう。食口がどれほど無愛想で冷たく、愛の人格を備えてはいないとしても、妻としての本性、母としての本性は日本食口に宿っている。日本食口がいなければ直ぐにでも日本は五分割されてしまう。日本が日本国として維持していられるのは平和(?)憲法のお陰ではない。非核を貫いている為でもない。ましてや経済力や技術力、その民度が高いせいでもない。願いがかけられ期待がかけられているからこそ維持されている。天があきらめれば明日にでも日本は陵辱され捨て去られる。

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