2016年3月22日火曜日

今日の想い 911

全てに時がある。アダムとエバは時ならぬ時に時の行為によって堕落した。よって時の時に時の行動をすべきなのが復帰され内外の次元を高める私であり、その為には今の今がどういう時なのかを悟らなければならない。主管すべきは私自身だと思っているが、それはその通りだけれども、時に主管された私を解放すべきであり時を主管しなければ私は変わらない。変わり目として次元移動できる時の揺らぎを捕らえる、すなわち潮目を見ることができる私になるにはどうするか。アダムとエバにとって堕落の時期は大きな潮目だった。愛の試練を乗り越える潮目だった。乗り越えて愛の勝利を勝ち取ればアダムとエバは完成期へと次元移動できた。アダムとエバの愛の試練は当事者にとっては愛の危機だ。時空の隙間は試練の時であり試練の時は現実的には危機状態だ。今統一食口社会は危機状態にある。個人の信仰に於いても家庭に於いても、そうなれば氏族復帰をしていく上に於いても、もちろん教会も家庭連合になりはしたが教会の柵(しがらみ)を引き摺り続けて危機状態にある。この状態をどう乗り越えるか。それは絶対信仰、絶対愛、絶対服従しかない。理解できる説明を求めている限りは乗り越えることなどできない。家庭連合に留まるかグループ派かサンクチュアリ派か、どこかに着こうとするから理解できる説明を求めてしまう。納得する説明を求める以前に求めるものがあるはずだ。それは自分の良心(神)の願いだ。その良心(神)に天の父母様は現れるのであり良心に絶対信仰を立てること=天の父母様への絶対信仰だ。全てに時がある。今は天宙の一大変革期にある。よって人類一人残らず変革せざるを得ない。誰に従うか、グループ派に従った者、サンクチュアリに移籍する者、彼らを詮索する意味などない。彼等の良心がどう働いているのか、本当に良心の声に従っているのかなど当人にしかわからないからだ。サタン的な霊的活動故に分かれているのか、それとも神様の作戦によって分かれているのかわからないからだ。先天時代はサタンとの戦いだった。後天時代は誰がより天を愛し御父母様を愛するかという愛の戦いだ。彼等がサタン的だと思えるとしたら、それは相変わらず先天時代の認識によってそうなっていると思う。天の父母としての心情を思えば彼等のために祈りこそすれ敵愾心を覚えるのは違うとは思うが、しかしそんなことよりも、先行き短い今、自分の良心の願いに応え有終の美を飾る統一信仰の結果を残すのに忙しくてそれどころではない。私は論議のままで地上を終えるなら、これほどもったいない話はないと思っている。全てに時がある。今は実りを刈り入れる時だ。収穫時に御託を並べていれば誰か別の人が実りを刈り入れる。外的にもそうであり内的霊的にもそうだ。先の者が後になり後の者が先になる。天国は激しく奪われている。誰から、、?そう、私達統一食口から、、。

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