2016年3月22日火曜日

今日の想い 912

二人のイエス様がいたように、二人の御父様(龍明と鮮明)がおられたのであり、そして二人の御母様もおられた。一つになられることでイエス様も御父様も、そして御母様も立たれたように、私が立つ為には私の中の二つの存在が一つになる必要がある。心と体という二つの存在が一つになる必要がある。心と体の戦いの場は天でもなく地でもない。心魂という私の内面が戦いの場だった。心に表象されるアベル存在が一方で声を発し、体に表象されるカイン存在が一方で声を発する。全てが主体対象関係によって存在しているように、私の中の主体対象関係を正しいものにすることが私の存在を決定する。一体化とは神様を中心とした一体化であり関係性を正しくしてこその一体化だ。二人のイエス様については何度か述べたが、多くの者はそれを物理的地上的に捉えようとするからあり得ないことだと受付もしない。しかしそこに神様の独り子が霊肉の実体として地上に現れるには聖別されてきた血統(血統とは霊肉によるもの)だけではなく、縦的な天の血統がスパークしなければ現れることはできない。天地父母からのものと天宙父母からのものが垂直の位置で交わる時があって田舎者のナザレのイエスから神の独り子イエスとなられた。同じ肉体を着てても違う存在であることに母マリヤは戸惑い次第に摂理の願いからずれていく。同じように忠母様も龍明とばかり思っている存在が鮮明という異なる存在になられ戸惑われた。その最も代表的なエピソードとして興南収容所の御父様を訪ねていかれた時のご様子を私達は知っている。御母様の独生女発言に対しても多くの食口が戸惑いを隠せない。しかし私達は過去のイメージの御母様に捕らわれることなく、天がスパークした異なる御母様であることを受け入れなければ御母様を中心とした新しい摂理に本流として参画することはできない。それは御母様に従うことを善しとした者達であっても同様で、それだけで摂理の本流になれるのではなく、位相を上げられた御母様に全く新しい御母様を見、御母様に新たな希望の光を見、その光に貫かれて自分も180度変わっていくのを見なければ勝利圏を相続した祝福家庭とは言えない。

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