2016年3月25日金曜日

今日の想い 913

統一食口社会が今の状態になるこれまでの経緯や、それぞれの間の遣り取りやらを見てきながら、殆どの食口はもはやこんないがみ合いは、お互いの足を引っ張りこそすれ、摂理を進めていく上で何の役にも立たないことがわかってきたはずだ。分かれたなら分かれたなりに如何にそれぞれ摂理を進めるかに邁進した方がいい。分かれていても摂理への推進熱がある以上それぞれの基準なりに霊界の協助も天の計らいもあるはずだ。2016年という年霊がどのように私達の意識に働き、どの部分に熱がもたらされ、そして気の風がどう吹いているのか、、。世界情勢はメディアによって選択され色付けされた情報なのでそのフィルターを外さなければ見えるものも見えてこない。祝福家庭として御父様の霊の一端を私の中に見るのであれば、世間の誰よりも2016年の年霊の本質を理解していなければならない。み言葉を語って感化させるのも大切だが、彼等が大きく頷くほどに世の動きの見通しを明確にし正しく未来予言する私を証することで彼等は私達に一目置くようになる。それができなければ彼等は天の父母が存在することも認めず、私達祝福家庭に天の父母が共にあることも認めない。人類が真の父母に繋がるのは私達祝福家庭次第だというのは霊連世からして当然だという見地に立てば、先ず私達が2016年にどうあるべきかを認識しなければならない。2016年は私達の従属的な受動的信仰を完全に否定し、良心の自由を得る能動的信仰を確立する年だ。それは堕落以後の私から堕落以前の私、開放釈放された私を確立することでもある。その大きな試金石のひとつが御母様の独生女発言であり、この爆弾発言を統一食口社会が混乱している今わざわざ発言されなくてもと思うかも知れないが、混乱混沌の今だからこそ発言されるべくして発言された、それは私達が変わることができる化学反応でいう触媒の働きがその発言にある。それを受け入れれば霊的化学反応を起こし、開放釈放された自我の意識を確立できる。「受け入れる」という言葉を誤解して欲しくないが、闇雲に信じるのは受け入れることではない、、とだけ説明しておく。それは触媒が同様には働かないからそれ以上は説明できないのであり、二次的なもの三次的なものを踏まえながら変化させていく者も出てくるからだ。基元節を超えた御母様は先天時代の御母様とは異なる存在であり、神様の一人娘(独生女)であり、さらには神様の相対であることから天地父母が立ったのであり、それ故に開放釈放された自我は私の中で意識を確立できる。混沌の中で多くの者は流されていき、新しい自我意識を確立した者だけが摂理の願いに応えるべく生き残っていく。先天時代の御母様ではなく、基元節を超えた異なる位相に立たれる御母様が私とどういう関係にあるのか、、。内的にも心情的にも切っても切れない自分だという実感がない者は後天時代に入りながらも後天時代には生きていないし、開放釈放された自我の意識が芽生えてもいない。それは言葉を変えると第四次アダム心情圏に入っていない自分だということだ。

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