2020年2月1日土曜日
今日の想い 1053
天から見ればまだ足りなく、供えた身も心もすべてを受け取ってもらえるのではなく、偽りの部類に数えられる情も行動もあったとは思うが、それでも言わせてもらえば並々ならぬ苦労もそれなりの結果も供えてきた。給料なしで奉仕してきた期間は、戴いていた期間をはるかに超えていたし、誰よりも涙を流し、誰よりも悔しい思いをし、時には血の小便まで流しながら喰らいついて来た。しかし私達や私達の組織の体質は、過去は流れ去ったものとして一切を不問にする。摂理に失敗し続けても何も問われないし、逆に栄光を供えたとしても何もしなかった者と同じ出発点に立たされる。その結果が、頑張ります決意しますという、中身空っぽの決意表明だ。どんな集会もどんな摂理も空っぽの決意表明で溢れかえっている。それは食口を共産主義と同じ社会にしてしまう。供えようが供えまいが受け取るものも生活基準も同じであって、そうなるとモチベーションは低いところに留まるという、共産主義社会の実態そのままを現している。別に不平不満を言っているわけではない。自分自身もその体質に慣れ親しんでいて、別に給料が少なくても何の文句もなかった。しかし様々な従業員がいる中で、安い給料でまじめに働く兄弟と違い、給料を上げて欲しいと言ってくる者は上げればやる気も見せてくる。兄弟は給料を上げても何ら変わりはない。自分ができることを見限っているからだ。その現実を見ながらハタと同じ食口である自分の在り様も同じだと気が付いた。その意味で先天時代の教会や教会組織の在り様では食口は成長しない。すくなくともこの世の万物主管力や人材教育力などの外的実力は備わらない。他のマネージャーは言う。二世をはじめ人材が集まらないのは魅力ある会社ではないからだと、、。さて魅力ある会社?、、 聞いてみると労働時間が決められているとか、給料や報酬がしっかりしているとか、小奇麗な店舗だとか、そんな外的環境をどれだけ整えたところで実力ある人材は集まらないし育たない。それよりなにより店長や従業員がやる気溢れて輝いている方がよっぽど良き人材は集まる。自分の意志ではなく中心か誰かに言われてやっている、いわゆる腰掛店長だから腰掛従業員しか集まらないし、自分の給料を安く抑えられて手足を動かすだけの働きであるなら、他に雇ってくれないし給料が低くても仕方ないという自堕落な従業員が怠惰な働きで居座る。先天時代の教会体質はこの世も二世達にも受け入れられないし、けっして天国社会でもない。
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