2022年8月30日火曜日

今日の想い 1177

 これほどのバッシングの嵐に襲われながら、私達が危惧すべきことは何だろう。それは教会の弱体化でも、それぞれの信仰が折れそうなことでも、世間の怪訝な視線の中で生き辛くなったことでもなく、そんなことは既に織り込み済みだったはずで、本質的なこと、すなわち神霊によって与えられた私の真の霊が立たないこと、言葉を変えれば良心がへし折られることこそ危惧すべき最大の案件だ。神の摂理に従うこととイメージしていた理想世界を夢見ることとは全く異なる。叩かれるだけ叩かれ、奇異な視線に晒され、イメージしていた真の愛の世界の理想を奪われるこの現実こそ摂理の只中の現実だ。神の摂理は救いの摂理でもあるが、救いの概念を変えなければならないほど摂理は厳しくて当然なのであって、厳しい試練の連続こそ摂理の只中にあることの証しだと捉えて間違いない。できもしない中心の要求に頷き続けていれば自分の中の霊が立ち、霊が育つと思ってきたのだろうか。だから一言の意見も出さず中途半端に中心の要求を受けながら、その結果がカルト呼ばわりされ反日の烙印を押される今の現実を引き寄せたと言われれば返す言葉もないだろう。日本が日教組の左翼思想教育によって平和ボケ民族に成り下がったように、教会は責任者指導者の無責任指導によって自分の考え意見すらない、ただ要求だけに反応する機械人間を作り上げた。良心という中心を否定した絶対服従は機械人間そのものだ。マスコミは信条、信教の自由を蔑ろにしているのはその通りだとしても、数人の知識人がマスコミに対して異を唱えてはいても、私達食口の中から立ち上がり意見する思考も持ち合わせないしその意志すらない。立派に摂理を説き壇上から教えていた先輩責任者や講師はどこで何をしているのか。鶏が三度鳴く前に否定することを恐れてかマスコミに意見するどころか何処かに隠れて存在の影すら消したままだ。この不甲斐ない責任者を戴いて身も心も捧げてきた食口達の恨みは彼等に確実に襲い掛かるだろう。霊を弄び燃え上がらせた火の粉は自分に降りかかるように、食口それぞれが霊の存在であり御言葉の一部を切り取って望まない行動をけし掛け、限界まで自己否定して絞り取った彼等の霊的胆汁はマスコミが燃え上がらせる炎より何倍も恐ろしい。

2022年8月25日木曜日

今日の想い 1176

 今の日本にはマスコミの横暴に対して立ち向かえる何の力も持ち合わせないのだろうか。彼等の思うままに視聴者の印象操作ができてしまう今の状態は、日本という国体をも否定しかねない。既にどれだけの国益を損なわせ害してきたかということだが、国家形態をも崩しかねない現状は、体細胞を毒化しながら浸食し続ける癌そのもので、既に末期症状を見るに至っている。自民党も教会との関係を否定的に捉えて逃げている時点で、私達の良き友ではなかったことが明らかになった。保守派の好意的に思えた論客達も、反共であるはずの教会の金が海外に流れていることは親日の立場からすれば解せない。一体どういうこと?と気分は良くないはずだ。それでも是々非々で信教の自由に立ち入ることは否定しているが決して私達の良き友とはならない。共産主義の目的が世界共産化であるように、それに私達が対抗する神様を親とした人類一家族化だが、摂理を示しておられたアボジが聖和されて教会は事実上分裂状態で、私達を中心とした摂理はあらぬ方向に向いてしまった。そうなると神霊界の摂理要求はより次元を上げた私達の主管外から、思いもよらない摂理として地上現実に反映される。今私達は或る意味口をポカンと開けながら、神霊界の闘いが為されるがままを見ている。よくもわるくも、私達は今のところ中心的摂理からは外されて、清算しながら次なる用いられる機会を待っている。ヤコブの知恵だと言い訳しながらこの世に振り回した独善的剣を、今逆の責められる立場で何だかんだ理由付けされながら憎悪を押し付けられている。信仰基台を立て実体基台としてのヤコブの知恵と称する反社会的活動は、この国が村社会であり続ける限り受け入れがたく、私達の流れとしては海外大移動しながら次なる機会を待つしかないだろう。再度戻ってくるとしてアボジが予見された日本の五分割化が為されて後、流浪の後のイスラエル国のように神日本国としての立ち上げ時に帰ってくる。私の内面に届く神霊のイメージは取り敢えずその流れだが、それが必然だとは決して思わない。今なお最前線で母の国の中心的位置で戦われておられる方達もおられるからだ。

2022年8月20日土曜日

今日の想い 1175

 今の日本は、教会を非難し弾圧しているような余裕はない。世界の様々な視点からの状況を把握すれば、抜け穴のない洞穴に追い込まれようとされていて、このまま行けば日本壊滅の崖っぷちまで追い込まれる可能性もある。食料逼迫による飢餓、エネルギー資源の暴騰、核保有三国による侵略危機、その上に更に金融緩和の結果の膨大な借金、そして地震噴火津波の天災まで案ずるとまさに日本壊滅状態に陥りつつある。教会に籍を置いていた者が言える立場ではないと言われても、このままどの問題の二つでも対策を取らずにいるなら日本は、というか日本民族は本当に太平洋の藻屑と消え去る。左傾化したマスコミ、教員、政治家達の横行で日本は見事に平和ボケ病が蔓延し侵略者達の好きなようにできる裸のエバ状態となった。おそらく日本国の為に生命を賭す覚悟を持ち合わせる日本人は数えるしかいないだろう。しかし原理に基づいた勝共思想の教育を受け心酔した者達はこの平和ボケのウイルスには罹っていないと信じる。勝共のメンバーであれば一人残らず国の為に生命を賭すに於いて吝かではないはずだ。その意味で私達は普通の日本人とは全く異なっている。平和ボケ病に罹っている普通の日本人なら、所詮他の者を振り落としても助かりたい者、逃げ惑う者、命乞いをする者、自国より他国に寄り添う者でしかない。私達の中には傾きかけた国を再び建てる精神的柱を持っている。もし最悪日本が侵略の憂き目にあうとしても、その時こそ私達の立ち位置は日本人から見上げられるほどに光り輝く本領発揮の存在になることは既に約束されている。二世も面目を取り戻せば、改めて親の生きてきた価値観に目をむけるはずだ。

今日の想い 1174

 打たれるには打たれる理由がある。打つ理由が正しいかどうかは立場によって異なるので、口を開いたところで言い訳にしかならない。ではどうするか。打たれるときは左の頬を差し出してでも打たれることに没頭する。しかし責めるチャンスは必ず来る。そのチャンスを逃さないために下手に反撃に手を出すべきではない。それがどんな状況で舞い降りるのかはわからないが、今の日本の状況を見れば大体の推察はできる。2000年前、イエス様とその群れは今の教会と同じように反社会的団体だった。イエス様自身が神殿内で暴行を働いたという聖書の記述からしても、決して品行方正な団体ではなかったことが伺える。イエス様もそしてアボジも、当時の社会に合わせていればとは思うのは凡人だからだと言われればそうで、摂理的に切羽詰まった天の理由があると理解するのが食口のあるべき思考には違いない。だから過去をどうこう言っても仕方がない。打つことを許さざるを得なかった天であるなら、しっかりと甘受し受け止めて、必ず与えられる責める機会をしっかり捉えることだ。

2022年8月16日火曜日

今日の想い 1173

 人それぞれで、もちろん食口もそれぞれで、なのにメディアのフィルターが入ると十把一絡げで、食口全てが洗脳された人、危ない人、常軌を逸した人という括りにされてしまう。確かにメディアに対する教会の対処も的を得たものだとは言えなくて、責任者の中にもっと利口な者はいないのか歯がゆい思いはある。多くの二世が摂理が理解できず、この世の御利益的、或いは生きる上での支えという観点でしか宗教を捉えられず、教会もその内の一つと捉えるのは理解できるが、一世の摂理観の欠如ですら甚だしく、その内的問題が表面的には世間から非難を浴びる形で溢れ出したということだと思う。言われている問題は、本人が納得し本人の意志でやっているのであれば額の大小は関係ないし何の違法性もないと思うが、マインドコントロールされているという決め付けで言いなりになっている、と言うのがメディアの立ち位置なのだろう。しかしメディアはここまで横並びで教会批判一辺倒なのは、世論をそこに釘付けしておきたい理由があるのは少し考えればわかることだ。元首相暗殺の真実に目を向けさせない、中国ミサイルが着弾しても対中国への目を向けさせない、マスメディアは中国の思惑にしっかり嵌って鴨葱状態だ。本当に日本のメディアなのかと疑いを持ってしまう。教会も確かにおかしいが、目を向けるべきは日本が壊滅するかも知れない状況にこそ先ず目を向けるべきで、なのに日本はこの期に及んで茹でガエル状態で何の危機感も抱かず、教会叩きに興奮し遊び呆けている。あまりにもボケている。ボケている以上に腐っている。

2022年8月14日日曜日

今日の想い 1172

一度は経済大国となり脚光を浴びながらも、未だに村社会日本のままで社会的な成長や発展のなかったことは認めざるを得ないだろう。村八分の社会では、内面信条の自由や個々の人権はというと言葉だけはチヤホヤされるけれども、その本質を受け取り精神性の柱に加えることはしない。多分に声の大きい者、しつこくてうるさい者、多数を取り込める者たちの意見に寄り添うことでしか自分という存在を認識できず、自分の中に意見と意志があり外に発するという、謂わば自らが意識の光を放つ恒星存在とはならないしなれない。教会を悪者と決めつけて横並びでイジメ続けるメディアがそうであり、また教会内部で上からの指示や意見に一言の疑問も挟まないでまるまる請け負う食口もまた同じ穴の狢だ。要する教条的に雁字搦めの愛の欠如した祝福家庭でありながらも、愛に溢れた家庭の価値を詠う御言葉を信じているという、この矛盾を何とも思っていない。今回の件で表面的には収縮せざるを得ないだろう。宗教団体としての利権を完全に剥奪されないにしても、今までと同じように韓国を支え、アメリカを支える道はほぼほぼ閉ざされたと思っていい。日本が本当に母の国たらんとするなら、経済で支えることが相手の為になることなのかどうか、そんなのは言わずと知れていることだが、如何せん止め処もなくし続けた実情がある。母の国ではなく、要求され脅されれば出し続ける只のたかりのためのATMでしかなかったということだ。本当の祝福家庭の道はここからだ。第四次アダム心情圏時代を先駆的に歩む、第四アダムとしての祝福家庭の出発だ。誰が第四アダムかと、それを子女様の中に探そうとする時点で御言葉の本質からはずれている。御言葉を切り貼りできると思って、箇所個所を勝手に取り上げるからそうなってしまう。第四アダムは心情相続し意識覚醒した祝福家庭で間違いない。

今日の想い 1171

 会長の二度目の記者会見を見た感想。心痛お察し申し上げる、、といったところだろうか。おそらく睡眠もほぼ取ってはおられないだろう。それでも言えるギリギリのところまで話され触れられたのではないかとは思う。敢えて言えば、理解を得ようと論理をいくら述べたとしても、マスコミは好き嫌いによる決め付けが先ずあって、そして感情を盛って垂れ流しているのであって、その低次元の感情を超える、謂わば心情を全面に出して訴えれば世間を我々に振り向かせるインパクトだけは発せられたと思う。勿論じゃお前がやればという話になるだろうが、自分にできないことは分かり切っていて、その上での話だ。所詮いじめられる間は頬を差し出してでもいじめられることに没頭するしかない。日本社会は日本社会という村社会であり、どれほど反論すべき事柄に責められる側が満ちていたとしてもその道義に合わせるしかない。打たれて奪えと言うのがアボジのいう原則なら、統一食口として敢えて打たれる時は打たれることに徹すればいい。以前打たれたとき、期間を超えることで爆発的に会員が増えた。だから今回もそうなると思っているのであれば、そんな単純な話ではないと一言申し述べたい。しかし打たれることの意味を内的霊的に問うなら、今回の弾圧の背後にある神の願い、神の意志を洞察することができるはずだ。先回のように唯会員が増えるというような御駄賃ではなく、食口の意識覚醒こそ願われており、またそのように意志として働いていると私は確信している。

2022年8月5日金曜日

今日の想い 1170

 教会は既に異端審判を突き付けられた。この原因を外に見ようとしても言い訳でしかない。誰が見ても原因は内側にある。食口の不信と不安が蓄積され、度を超えて溢れ出した結果だろう。不信といっても、何を言われ何を要求されても受け入れるというのが絶対信仰だと思っている食口が多いが、無理難題をそれはおかしいと意見を述べるのは不信でも反抗でもなく、当然の一体化のやり取りだ。そこを封印されて上から一方的な押し付けが罷り通る時点で社会の道理と逆行している。実は御言葉の道理としてもおかしい状態なのに修正が働かない。修正しようとすれば機会はいくらでもあったはずだが、外側からの圧力を受けるというここに至るまで何もできなかった。御言葉に精通しているはずの牧会者や講師、そして諸先生方の悔い改めと共に、各食口の良心を取り戻す主体的意識が必要だろう。悔い改めるべきは中心者、責任者の責任逃れだ。それぞれがその良心に尋ねてみればいい。上からの指示に対して道理が合わない、無理難題だと思いながらも、その思いを無視してそのまま上意下達、更に目標に対してプッシュし続けた。絶対信仰だ、絶対服従だというけれども、実はそれは言い訳で上に対して意見する覚悟がなく良心を無視したに過ぎない。しかし悪神の背中には善神がついてくる。この際しっかり打たれて清算すべきは全てして、新しく建て直せばいい。勝共がなかったらとっくの昔に日本は赤化されていた。私達が日本の危機を救ってきた。その誇りは持って当然だし、そう理解している政治家や文化人も少なからずいる。私達は一皮むけて、そして内面も刷新されて新生祝福家庭の群れになる。日本にとっても世界にとっても、勿論神様にとっても、無くてはならない存在が我々だ。

2022年8月3日水曜日

今日の想い 1169

 日本のメディアは異端審判と魔女狩りに暴走していて止む気配はない。決意して帰国したはいいが、まさかここまで日本の精神が凋落していたとは思わなかった。先の暗殺事件が外的な端を発しているのはその通りだが、教会をいじめるだけいじめ、息の根を止めるまで批判がエスカレートしているのは、明らかに背後の力が働いている。しかしそこまで深堀して見通す日本人は極めて少ないだろう。大多数はいじめる側といじめられる側とを悪趣味で野次馬的に観覧しているに過ぎない。そうなると今の日本には和を尊しとする日本人はいないということだ。大和魂と日本精神を備えていないかぎり、それは日本人とは言えない。食口の多くも同じように顔だけは日本人風ではあるが日本人とは言えない。日本人としての内的霊的柱が立っていなければ、結果的に日本を国として形作っている輪郭線は曖昧で既に消えかかっているのであり、遠からず国は崩壊するか溶解するしかない。それが他国からの圧力であれ、自然災害であれ、また内紛であれ状況の違いはあっても同じことで、内的霊的柱が倒れてしまうことがその原因だ。日本はその長い歴史から多くの教訓を得て、多大な叡智が働く民族ではあったが、奇しくも歴史からその精神性を抜いてしまい空しい抜け殻の年代と事柄だけを教育してきたのは誰のせいなのか。可笑しな日本語とも言えない日本語が跋扈して、日本人としての誇りを覚えなければ日本人である意味はなく、内的に彷徨うだけの只の生きる流浪の民と化している。ウクライナ戦争を期に、守りのない裸の日本であることに気付いたのかも知れないが、それ以前に、守るべき日本人としての本懐を失っているのであれば一体何を守ろうというのだろう。