2022年8月14日日曜日

今日の想い 1172

一度は経済大国となり脚光を浴びながらも、未だに村社会日本のままで社会的な成長や発展のなかったことは認めざるを得ないだろう。村八分の社会では、内面信条の自由や個々の人権はというと言葉だけはチヤホヤされるけれども、その本質を受け取り精神性の柱に加えることはしない。多分に声の大きい者、しつこくてうるさい者、多数を取り込める者たちの意見に寄り添うことでしか自分という存在を認識できず、自分の中に意見と意志があり外に発するという、謂わば自らが意識の光を放つ恒星存在とはならないしなれない。教会を悪者と決めつけて横並びでイジメ続けるメディアがそうであり、また教会内部で上からの指示や意見に一言の疑問も挟まないでまるまる請け負う食口もまた同じ穴の狢だ。要する教条的に雁字搦めの愛の欠如した祝福家庭でありながらも、愛に溢れた家庭の価値を詠う御言葉を信じているという、この矛盾を何とも思っていない。今回の件で表面的には収縮せざるを得ないだろう。宗教団体としての利権を完全に剥奪されないにしても、今までと同じように韓国を支え、アメリカを支える道はほぼほぼ閉ざされたと思っていい。日本が本当に母の国たらんとするなら、経済で支えることが相手の為になることなのかどうか、そんなのは言わずと知れていることだが、如何せん止め処もなくし続けた実情がある。母の国ではなく、要求され脅されれば出し続ける只のたかりのためのATMでしかなかったということだ。本当の祝福家庭の道はここからだ。第四次アダム心情圏時代を先駆的に歩む、第四アダムとしての祝福家庭の出発だ。誰が第四アダムかと、それを子女様の中に探そうとする時点で御言葉の本質からはずれている。御言葉を切り貼りできると思って、箇所個所を勝手に取り上げるからそうなってしまう。第四アダムは心情相続し意識覚醒した祝福家庭で間違いない。

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