2022年8月5日金曜日

今日の想い 1170

 教会は既に異端審判を突き付けられた。この原因を外に見ようとしても言い訳でしかない。誰が見ても原因は内側にある。食口の不信と不安が蓄積され、度を超えて溢れ出した結果だろう。不信といっても、何を言われ何を要求されても受け入れるというのが絶対信仰だと思っている食口が多いが、無理難題をそれはおかしいと意見を述べるのは不信でも反抗でもなく、当然の一体化のやり取りだ。そこを封印されて上から一方的な押し付けが罷り通る時点で社会の道理と逆行している。実は御言葉の道理としてもおかしい状態なのに修正が働かない。修正しようとすれば機会はいくらでもあったはずだが、外側からの圧力を受けるというここに至るまで何もできなかった。御言葉に精通しているはずの牧会者や講師、そして諸先生方の悔い改めと共に、各食口の良心を取り戻す主体的意識が必要だろう。悔い改めるべきは中心者、責任者の責任逃れだ。それぞれがその良心に尋ねてみればいい。上からの指示に対して道理が合わない、無理難題だと思いながらも、その思いを無視してそのまま上意下達、更に目標に対してプッシュし続けた。絶対信仰だ、絶対服従だというけれども、実はそれは言い訳で上に対して意見する覚悟がなく良心を無視したに過ぎない。しかし悪神の背中には善神がついてくる。この際しっかり打たれて清算すべきは全てして、新しく建て直せばいい。勝共がなかったらとっくの昔に日本は赤化されていた。私達が日本の危機を救ってきた。その誇りは持って当然だし、そう理解している政治家や文化人も少なからずいる。私達は一皮むけて、そして内面も刷新されて新生祝福家庭の群れになる。日本にとっても世界にとっても、勿論神様にとっても、無くてはならない存在が我々だ。

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