2022年11月13日日曜日

今日の想い 1204

今、多くの食口にとってもっとも向き合うべきことは自信を取り戻すこと。教会に入り信仰を持ちやすい人というのは、元来自分に対して自信がなく依存しやすい人であって、真理を求めて入ってきたというのは自分への言い訳の部分が多いだろう。依存体質を変える為の信仰であるべきで、信仰を言い訳にして更なる依存へ向かうとしたらその信仰はどこまでも教条化、すなわちドグマ的にならざるを得ない。信仰の本来の意味を理解しない者はマインドコントロールや洗脳と断定してしまうけれども、依存のための信仰も信仰からの教条主義も、マインドコントロールではないにしても信仰の本来の在り方とは異なるので問い直し見つめなおす必要はある。昨晩妻とテレビを見ながら、マインドコントロールを連呼しあたかも精神患者扱いにされているようで憤慨だと言うと、妻はそういう面もあると言うから言い合いになってしまった。従わなければならない雰囲気があって逃げられるものではないと言う。別に鎖で繋がれている訳でもないのに、催眠術をかけられている訳でもないのに逃げられないとはどういうことだろう。そこには魂に染み込んで洗い落とせない依存体質がそうさせている。人間の精神としての主体性のなさ、及び欠如が日本人一般にあって、他国では考えられない依存体質故の問題が生じている。食口の依存体質がなければここまでの問題にはならなかったはずだ。その意味では食口こそアボジの心情相続を受けてその魂に主体性精神を植え付けてほしかったし、そうであって初めて天下国家を語り地上天国建設を牽引できる存在になってほしかった。アボジを自分の主人として迎えることを結論とし、親として迎えることができなかったことは日本食口として痛恨の極みだ。アボジに繋がるという意味を自分の中の依存という言葉で捉えるしかなかったという精神的怠慢は、特に責任者や牧会者は良心から問われて胸を搔きむしることになる。

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