2022年11月16日水曜日

今日の想い 1206

 テレビをつければ、さも楽しくも幸せそうな人々で世界が溢れかえっているようなCMが、引っ切り無しに視界に飛び込んでくる。この滝のように流し続けるイメージで、視聴者一般は先ず無意識にもイメージ操作されているはずだ。もちろん報道は報道で事実と思しきものも流してはいるのだろうが、画面で切り取った事実は同じ画面で流れるドラマや映画と変わりなく、事実が事実として視聴者に受け取られてはいない。そこに戦争の現実味はない。食糧難で飢餓に苦しむ現実味はない。人権を奪われた少数民族の現実味はない。病に苦しむ現実味はない。社会や家庭問題の現実味もない。イメージ漬けのせいであたかも楽しく幸せな世界が当然で、自分の問題も含めて問題を問題として正しく向き合えない、すなわち人生に正しく向き合えず本来の人生の意義から逃げて、貴重な時間を無駄に費やしながら生きている。生きているとは名ばかりの生を生きている。教会に対する報道もワイドショーもただの見世物でしかなく、異質な存在に対する興味ばかりを煽って流しているに過ぎない。そういう感性の鈍化した社会への薬は、痛みを伴う現実の心的あるいは肉体的危機以外になく、今のままでは五感を超える精神的感性を受け取ることは難しい。その意味で天災や戦争や流行り病として、霊的権威の役事を天は既に許可している。金融危機からの財政破綻、ウクライナ戦争からの東西戦への世界化、エネルギーと食糧危機、コロナを超える流行り病、そして地震と大幅な陸地の海底化も含めて天の大々的役事が近い未来にプランされている。

0 件のコメント: