2023年8月25日金曜日

今日の想い 1254

日本人それ自体の脅威は日本人である私自身が感じていて、それは得体の知れない背後であったり、一つの方向性を与えられたらどんな手段を取ろうが突き進むことだったりする。私は戦時を生きたわけではないけれども、戦時の日本軍が鞭の上に鞭を重ねて肉を削ぎ、戦場に追いやった当時を献身時代に追体験している。私の万物復帰の体験は戦時そのものだった。ノルマに追い遣られ、鬼軍曹に罵られ尻を叩かれ、尋ねる一軒一軒から白い目で見られる。耐えられない私は肉体から魂を消し去りたいほどで、その当時の嘔吐を覚えるトラウマが未だに私を苦しめている。日本の教権指導者達はそういった精神虐待的指導が罷り通っていた認識があるのだろうか。私の実感は、振り返れば神の愛だったというアボジの言葉にあるように、そんな当時は愛とは無縁の対局であり周りは愛の言葉を口にする鬼の連中であり、恨みを覚える当時を生きたからこその愛とは何かをみ言葉に見ようとする態度が私の中に培われたと思っている。私は長という肩書が全く無縁の立場で、アボジの裾にただしがみ付いてきた祝福乞食に過ぎないが、指導し前線に追い遣る立場で教会にいた全ての中心者や責任者、最も口を開いてこの世からの降り注ぐ矢面に立つべき彼等が、隠れて息を潜めているのは憤慨もするし遣り切れない思いもある。信仰の先輩達がこの様で、結局為に生き真の愛を立てる精神は爪楊枝ほども立っていなかったということなのか。日本にいる韓国の責任者が逃げるのはさもありなんとしても、日本人であれば腹を切る潔さを恰好だけでも見せてほしかった。過去の戦犯達は立場上仕方なかったとしても、それでも命をもって償ったのだから。そうやって責任者や中心者達にも霊界のアボジの前で是非報告して欲しい。アボジがいない地上で、鶏が鳴く前に三度否定するという聖書の言葉通りにならないように自らの行動を示すべきで、隠れたままで遣り過ごして自分の良心が負債を覚えないはずがない。過ぎてみれば神の愛だったと、霊界に赴いてアボジの前に出たときに発言することができれば信仰の勝者となるはずだ。それでこそ日本の蕩減は日本の彼等の言葉と態度で復帰されると思う。今のままでは当人どころか配下でアベルの言葉に従ってきた全ての食口も敗者であり、罪の印を押されてしまう。

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